スタイリッシュに配置された赤や黄色のペンキ壁や、空や砂浜のつくる色彩のなかで、人間の肌だけが年輪を刻んだアースカラーとして写っている。
赤茶色にくすんだ肌色が生々しいのは、まわりに散らばる原色の鮮やかさがとても人工的に対比されているからだろうか。
広告やファッションを起源にしているから「消費」という言葉がすぐ浮かんでくる写真ばかりだけど、その人工物を身にまとった人の姿が、両者の隔たりの大きさを語っているようで面白かった。2007-07-16k.m
カテゴリー展示、写真
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写真は撮るよりも見るのが好きでしたが、FlickrへUPするようになって、カメラ熱上がってきました。
『写真術のためにおどんなお題目が並べられようと、それの主な効果は世界をデパートか壁のない美術館に変えてしまうことで、そこではあらゆる主題が消費物と堕すか、美的鑑賞の対象物に高められる』(スーザン・ソンタグ)。
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