人気レーベル「講談社ノベルス」と文芸誌『メフィスト』でおなじみの講談社から新書サイズの新雑誌『ファウスト』が創刊
ノベルス系はまったく読んでいなかったと思う。この雑誌が入門編となればと思って買ってみた。今日現在、編集後記しか読んでいない。けれど意気込みが伝わってきて面白そうな雑誌だ。舞城や京極など、どおしてノベルス系の作家は次々に新作をだすのだろう。何年かぶりの保坂さんとはずいぶんと違う。そういったスピード感がこれらの基本なのだろか。そんなところも興味があった。とにかく遠慮がちな所へ踏み込むにはもってこいの創刊かもしれない。今年はなんだか文芸誌が熱いなぁ。2003-09-05/k.m
とにかく俺はこの世界に俺がいるかどうかをひたすら確かめたいだけだ。世界のピンチなんか知るか。
毎度(といってもまだ3つしか読んでいないけど)のことながら、荒唐無稽と言うか、現実離れと言うか、幻想ではなく「おかしなリアル感」でいっぱいの話だ。まったくついていけないわけではなく、でも違和感たっぷりで読み進まざるを得ない。
ところが上記のセリフのように、自分の存在に深く入っていく、世界と対峙する自分という思春期小説の王道を行くような所にも向かっていく。敵と戦う自分。そして自分とは・・・。まるでエヴァのようだ。この間見たばかりなので。
まんが的な世界観を原点において、自己イメージの捏造があふれる一連の舞城作品。後におさめられている東浩紀の文芸批評「メタリアル・フィクションの誕生」を読むと、このことを詳しく分析している。やはりこの雑誌はライトノベルスの入門編にふさわしい。
調布と西暁がはっきりと対比されている点もこれまでの作品にあったのだろうか。自己像が土地と結びつけられ、両方を包括するメタ世界が頭の中にあって・・。なんか難しい「しくみ」だ。
それでもクライマックスはなかなか迫力がある。いままで積み上げてきた崩壊が、いっきに押し進められるのだ。これは様々に解釈されそうな結末でもある。違和感いっぱい、興味津々。相殺されそうながらも読めてしまう。まだ微妙。
東浩紀言うところの今年の激しいライトノベルスの動き
ところで
その現実に生きたまま虚構に生きるキャラクターたちとともに歩んでいくことができる。
これってゲーム特有なのだろうか。小説や映画だってこんな風に楽しんでいるように思う。虚構に埋没しているとも思えないし。2003-09-06/k.m
映画「リリィシュシュのすべて」を見た頃、あれを「痛い」という人が結構いた。僕にはこの小説の方がよっぽど「痛い」と思う。それはネガティブなイメージで、むしろあまり読み続けたくないという気分だった。
まるで学生運動時代のセクトを見ているような、13歳同士の会話。僕は僕を圧し潰して来たこの町の人間どもを徹底的に壊す。そんな風に湧き出る殺気を理路整然と語り合う13歳がいるだろうか。居るのかも知れないが、ここまで話すことが出来ればもう十分にガス抜きされているのではないか。
言葉にして、叫んで、盛り上がって行動に至る。70年代小説にもこんな狂気を描いたものがあるのだろうが、そこには青春の匂いのようなものがあったのではないか。「痛い」と思うのは、そんな匂いをまったく感じられない無機質な部分と、そのことでかえって浮きだつグロテスクな描写にたいしてだろう。
終わり無き日常を生きる13歳。そして19歳になった主人公のさらに追いつめられた現実。そこから抜けられない閉塞感を、もはや成熟へのなんとかとは言い切れない痛さ。カタルシスを覚えつつも、やや引いてしまうのだ・・。2003-09-22/k.m
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