全体にとても抑えられたリズムと主人公の淡々とした人生とがとてもシンクロしている。なぜ床屋なのかと思うようなストーリーだが、なぜ床屋ではだめなのかを無効にしてしまう内容でもある。
義兄の経営する理髪店で働く床屋。彼が感じている空虚さはとても深いようで、その無口で思考停止された生活は虚しさをひた隠しにするためのささやかな抵抗か。妻との出会いや、子供のいないことや、浮気や、兄のとぎれないおしゃべりや、髪の伸び続ける客や・・それら全てが自分の意志とは全く関係のない所で動き続け、それに参加する事もなく、ただ虚しさを募らせるばかりの生活と決めつけ、どこかで結論を出し、その小さな輪へ苛立ちを感じているような。・・。後半に出てくる弁護士によって、はからずともそれを「現代人の悩みと言わせ」、観客全員へも虚しさの共感と、思考停止の生活を訴えてくるようなシーンがありハッとした。
彼が起こした恐喝で動き出す波瀾万丈は、そんな虚しさを吹き飛ばしてしまった。全てを失い、死へと向かっていく運命をむしろ受け入れていく。あの時はじまった悲劇は様々なシーンを生みだし、そのどれもが彼を困惑させ、思考させ、絶望させ、怒らせ、感動させた。人生が「物語」ならば、確実に「クライマックス」を演じていた。彼のなかでそれらの不可解なシーンはある「輪」となり、一つの「人生」として鮮明に浮かび上がるとき、死刑台へと向かう。その晴れがましさは全てを悟ったような禅僧のようでもあった。
とても狙っている演出で、やや堅苦しさも感じたが、全体としては感動的な映画だった。なにより床屋役のビリー・ボブ・ソートンが「シブイ」演技で、彼の独白シーンが続くので、次第に彼自身になっていく状態。気づけばハードボイルドをすっかり気取って見ている始末でした。2002.04.29k.m
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