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ネイバーズ・ホーム・サービス


  • 前川 麻子著
  • 集英社
  • \1,600

便利屋兼家政婦紹介所「ネイバーズ・ホーム・サービス」を舞台に、心を病む一人暮らしの女性、痴呆の老夫婦など、都会の孤独と幸福を見つめるサト(28歳)をめぐる物語。著者は幼少時より舞台に立ち、女優・演出家として活動。2000年「鞄屋の娘」で第6回小説新潮長篇新人賞を受賞し作家デビュー。


心の微妙な振幅を丁寧に描いている作品だ。初め家政婦と言うよりも(ここでは隣人のような存在と言っている)、精神分析医を思い起こさせた。患者との距離感を気にし、転移を恐れ、入り込むことに慎重になる医師のように。サービスの内容よりも、そこから派生するユーザーとの関係へ話題が続くことへ興味が深まる。分析医がやがて患者との距離感に葛藤を抱いていくような物語があるが、この主人公は、自らを「職業」隣人たるべく立場におき、そこから見えてくる他者という存在、そしてその他者から見えてくる自分という存在へ、さらにその「関係性」にまで葛藤をしのばせていく。

そこには都会へ出て来きた一人の女性が立ち向かう孤独があり、やがてもっと普遍的なもの、存在自体の抱える寂寥へと向かっているようにも思えた。しかし主人公は「仮の隣人」という微妙な接し方を通して、孤独からの呪縛を紐解いていくのだ。様々なユーザーとその要求は、関係性の事件として主人公に降りかっていく。その度に一喜一憂していた心が、やがて「凡庸さ」という言葉に集結していくさまは、悟りにも近い覚醒の流れを感じつつも、あくまで等身大な女性の内面を描く著者の姿勢には、したたかさを見るような気がした。「好きでやっていることと、しなければならないことを区別するのは間違っている」(作中引用)。

狡猾なさま、嫉むさま、人間性をあらわす姿とは、むしろそんな「醜さ」の中にこそ際だつのではないか。ドラマの展開からいっても、コントラストのある動きが見い出せそうだ。しかしこの著作ではむしろ徹底した「凡庸さ」を軸に据えている。このことは「現実は所詮こうなんだよ」と言った諦めよりも、むしろ通常の生活で切り捨ててしまうような、心の小さな振幅に対する執着すら感じる。「平凡なものはつまらないという感覚こそが、密かに卑下していた凡庸さそのものだ」(作中引用)。

「平凡な結婚をして、平凡な幸福を手に入れ、平凡な人生の道のりを、決定的に択ぶ。」(作中引用)。「凡庸さ」が導くものを慎重に定義するこの物語を読み進む内に、一方で上記のようなサトの言葉へは嫌悪すら感じるようになっていく。思考停止という無責任さこそ、無意識の悪意に通じる危険さを孕んでいるのだろう。考え、そして、したたかな姿勢を身につけて行く内に、下記のような言葉も出てくるのだし。「人はみな違うということは、もっと根本の部分で、人はみな同じだということに思えた。」(作中引用)。

著者の強い意志が作中にあふれ出ていて、何か元気づけられるような躍動を感じた。

2002.08.02k.m

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カテゴリー-小説


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