ニッポニアニッポン



「関係性の悲劇」

個人的には単行本で小説を読むのはあまり好きではない。高いし大きいし、何よりハードカバーというのは電車では読みづらい。元々あまり多く読まないのだから、困らないのだけれど、どうしても新しいのを読みたいときにはしょうがない。今回もそれに近い。阿部和重に興味を持ったのは、文庫化された「インディビジュアル・プロジェクション」を読んでからだけど、恐らく「アメリカの夜」と合わせてまだ2冊しか文庫化されていない作者なので、彼のを読むことは、単行本への「葛藤」とは切り離せない状況にある。おまけに今回の本は、先日パルコブックセンターにて「サイン会」があり、たまたまの「ついで」にのぞいた場で、もう誰もサインしに並んでいるモノがいなくて、そばで見ている僕らへ当然のように声を掛けてくる出版社のひとに連れられるままに買い、阿部和重本人からサインをもらった単行本だ(別にだからどうしたと言うわけでもなにですが)。


この小説での「面白さ」はやはり主人公の「特別な存在にたいする妄想の深さ」ではないだろうか。他の小説でも一貫しているこのテーマの登場に、もはや慣れてきてはいるモノの、毎回ディテールの磨かれ方と材料の奇抜さが飽きさせない。「特別」天然記念物であり国際保護鳥である「トキ」という題材が面白い。「ニポニアニッポン」という学名を持つこの鳥の悲劇を自らの「引きこもり人生」に重ね合わせていく主人公。インターネットでの検索模様(阿部和重自身の検索生活がうかがえるよう)や、その計画への執念には「緻密」さと「慎重」さのあまり「滑稽さ」が際だつ。

滑稽さの前提には、主人公の歩む道のりの中へ、世間も歩むであろう「踏み外す危険性」との二重性を見つけられるからではないだろうか。

「ニポニアニッポン」という学名ゆえにナショナリズムを呼び起こし、共同体の善意という実体のない動機によって、最終的に全鳥捕獲にまで追い込むはめとなる事態。この得体の知れない「善意」や「正義」は、色んな意味で本質的な悲劇を隠蔽し続けている。ある意味それは、現在世界で引き起こされている様々な状況を、凝縮して表しているようにも見えないだろうか。

やはりこの「本末転倒さ」は、主人公の妄想とパラレルだ。と言うよりも人間が関係する世界には付き物の悲劇なのだ。そもそも主人公が思いを寄せる本木桜との出会いから本末転倒ははじまっている。純真な思いが、「関係性の悲劇」というフィルターを通して、いつしかストーキングにまで及ぶ。自身としては前向きな思考から、結果的にそこまで至ってしまう主人公と、種の絶滅から守るという思考からトキを後戻りできない悲劇へと導いてしまったナショナリズムとはどこか似ているではないか。2001.09.21k.m

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最終更新:2008年04月11日 08:06