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はたしてこれはモテル男の物語なのか


  • 川上弘美
  • 1,400円
  • 新潮社

はたしてこれはモテル男の物語なのか。主人公ニシノユキヒコはモテル男だ。けれど主人公が彼なのかという疑問と同じようなレベルで、モテル男の話というよりは、「女性達はどんな風に男に恋をしているのか」というお話のようにも感じた。そして女性にとって恋愛とは、その様に相手を愛するという気持ちと同じくらい、いやそれ以上に「相手を愛する自分を見つめる」ということに対してとても自覚的なのではないか。

まずニシノユキヒコ本人は語らない。彼を形作るのは全て関わった女性達の語りのみ。だから呼び方も様々だ。それぞれのエピソードを通じて見えてくるのは、ニシノユキヒコが恋愛について模索し、世界の中で自分の居場所を見つけようとあがいているモテル男の真摯な姿だ。けれどそればかりではない。むしろ彼を批評する女性の姿こそが興味深い。

ほとんどが女性のほうから別れを切り出す。ニシノユキヒコの人間性についていけなくて。そして別れても未練を残す男を思い浮かべる。そこには主体性を持ち続ける母性と、無邪気に溺れていく願望との葛藤が見える。彼女たちはみな恐ろしく理路整然とニシノユキヒコを語る。まるで自分のなかで作り上げた小説のように。あまり関係ないかもしれないが、さんまの 「恋のから騒ぎ」に出ている女性達の語る恋愛もみな理路整然としているように思う。少なくとも自分の中ではっきりとした結論をもっている。

長続きした恋愛に生活感の漂わないクールさは見出しにくい。愛は永遠だと語ってもそこに情が入り込む限りいつまでもカッコつけているわけにも行かないし、その必要もなくなる。けれど彼女たちはカッコいいままの自分を維持できたことを喜ぶかのようにニシノユキヒコを振り返る。いっぽうの彼はカッコいいままの恋愛に希薄さを感じつつも、本質的な分かり合いなど存在しないことを悟っているようだ。

その悟りはある渇望を生み、何度も駆り立てる反動となってニシノユキヒコを成立させているのかもしれない。そして女性達はある意味都合よく彼を扱えたわけだが、その悟りには触れることがない。あるいは女性達は知っていて触れることをさけているのだろうか。何れにしろ理解し合えることは恋愛において必要ではないのだ。そしてどんな付き合いにもそれは言えることではないか。

ニヒリストたるは女性のほうで、男はあきらめ切れないロマンチストなのだろうか。そこに典型を見出そうとする時点で、自分も浅はかだなぁと思う。2004-03-19/k.m

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カテゴリー-小説