ドレミファ娘の血は騒ぐ


  • 製作年:1985
  • 監督:黒沢清
  • 脚本:黒沢清、万田邦敏
  • 出演:洞口依子、伊丹十三、麻生うさぎ

にっかつロマンポルノでお蔵入りになった「女子大生恥ずかしゼミナール」を、ディレクターズ・カンパニーによって追加撮影・再編集を施し、成人指定を取り除いて一般公開までこぎつけた作品だそう。

昔みたゴダールの『中国女』を思い出した。出演者はそれぞれカメラ目線でつぶやき、心理学の本を読んでるような、意味があるようなないような、不思議な場面が多い。コメディー仕立の明るい雰囲気が、まだ救いだとも思うけど、理解しようと思ってもしかたがないようだった。むしろ画面に出てくるそのままへリアクションするように(アート作品を見るような)文脈とか流れを考えないほうがよいのかもしれない。

野原で学生達が間隔をあけながら歩くなにげないシーン。伊丹十三が教室から見下ろし、大きな樹木越しに数人の動きがチラチラあるシーン。何れも引きで捉えた空間の大きさを伝えるもので、なんの説明的な意図もない、そこで起きていることを観察するような視線が面白い。

いきなり差し込まれるビデオ撮影の場面は余りにも画像が荒くって、妙ないかがわしさとエロティシズムが混在している。これは音と映像を同時に納めることができる、当時としては画期的な試みをゴダールよりも先に活用した監督自慢のカットのようだ。

明らかに後から追加されたせいかなんの繋がりも感じさせない強引なカットなんだけど、もはや既成概念で見ること自体否定されているのだから(?)、それほど驚かなくなってきた。むしろ自由奔放に映画をつくっている監督の楽しさが伝わってきて、羨ましい気分だった。画面に何を映し、どういったアクションが起こっているのが面白いか、そんな場面の積み重ねがそのまま映画になっている。幸せな作品。2006-08-25/k.m

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最終更新:2011年04月01日 01:17