ネオレアリスモの父、ロベルト・ロッセリーニの作品。 ドキュメンタリ−作品を思わせる無味乾燥なスタイル。俳優はすべて素人を採用。
第二次世界停戦後、べルリンの廃墟。 生き延びたある家族の話。小さなアパートへ居候する4人の家族は、皆生きていくことが精一杯で、不満をぶつけ合う毎日。病気に伏した父が、家族を結びつけている絆でもあり、反面つらい時代の中、足手まといとなっていた。末っ子のエドムントは、幼いにも関わらず、家族のために闇で働く。
病気で嘆く父を楽にしたい思いと、家族の行く末を不安に思う気持ちのなか、もとナチ党員の教師へ、「弱い者は死ぬべし」という勢いじみた言葉を聞かされ、父を毒殺。死に至らしめるいきさつを、丹念に描いているせいか、その衝撃はあまり大きく感じられなかった。
だが父を殺してしまった後のエドムントが、家を飛び出し街をさまよい行くシーン。 闇屋で知り合った女の子にも相手にされず、そしてボール遊びする子供達の輪へ入ろうとして拒絶される。あどけない子供の様相を見せるが、すでにその世界へ後戻り出来ない孤独な自分へ直面する。 そしてその寂しさから、自らの命をもあっさりと捨ててしまった。 その命への執着のなさ、安易とも思える自殺へ、衝撃を受けた。
そこには子供達もまた、大人と同じように「戦後」を迎えてしまったこと。善意や願望ではどうしょうもない現実の中に置かれていることを物語る冷徹な眼差しがあった。99.10.31/k.m
ベルリンについて。 30十年に及ぶ東西ドイツ分裂の解消から、最近の急激な都市開発の勢いを見ると、都市がまさに有機的生命体にたとえられるさまを見るようですね。 ベルリン・ケルンという辺境の小さな都市から、ドイツ帝国の首都となって世界中を震えさせた世界都市としてのパワーが、新たな形でよみがえっていくのでしょうか。
ゴダールの「新ドイツ零年」という映画を以前なにげなくTUTAYAで借りて見たときは、なにかよく分からず、眠たくなってしまいましたが、「ドイツ零年」を見てなんとなく相対的に感じる事が出来ました。99.11.03/k.m
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