テクノ・ランドスケープ

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  • 参加作家
  • フローリアン・クラール
  • 飯田啓子
  • 伊藤高志,稲垣貴士,KOSUGI+ANDO,吉岡洋
  • 逢坂卓郎
  • ニコライ・レッケ
  • 佐藤時啓
  • 曽根裕
  • 豊崎洋二
  • 吉田重信

世界の新たなテクスチャーへ向けて 2001年6月22日(金)〜 7月29日(日)ICC ギャラリーA, B, ラウンジ

BEACON 2001:伊藤高志,稲垣貴士,KOSUGI+ANDO,吉岡洋 ICCのサイトより

さとメディアという言葉に対する印象など、どんどんと変わっていく時代の中で。そのあたりには全く疎いのですが、その世界を扱っているICCは結構好きでよく足を運びます。

テクノ・ランドスケープとは文字通り、テクノロジーと風景を切り口とした展覧会のことだ。情報技術の進歩とメディアとの関係性の変化。それらが生む「風景」とは。

その前に風景と言って思い浮かべるものも、我々の中で変化しているのだろう。それはなにか実際の「眺めた景色」とは違う、あるいは加算された内面、ある記憶を思い浮かべる状態に近かった。しかしそのような眺められる景色の変化と、眺めるという行為の変化が、生活のなかで作られる「風景」に変化をもたらす。例えば都市生活者達の風景とはなんだろう。会社とコンビニと自宅をつなぐ線のなかを繰り返し反復した生活を送る者。地下構内の広告。道路にあふれる車。コンビニの弁当。眺めるというよりも意識せずに視界のなかへサブリミナル的に飛び込んでくるもの。それら消費と結びついた記号の渦が原風景ではないか。

<参加作家> フローリアン・クラール 飯田啓子 伊藤高志,稲垣貴士,KOSUGI+ANDO,吉岡洋 逢坂卓郎 ニコライ・レッケ 佐藤時啓 曽根裕 豊崎洋二 吉田重信

テクノロジー・メディアへのパーソナルな取り組みを行うアーティストたちの試みを通じて、「ランドスケープ」の意味の変容の諸断面を紹介するもの。気になった3作品について。

ランドスケープ・モジュール・シリーズ:フロリアン・クラール これはとっても面白い。なんといっても真っ暗な部屋に浮かび上がる異様な光景をぼーっと見ているみんながコワイのがまたすごい。どうやってこの映像を作っているのかよく分からない。その分からなさがまたコワイ。

メイド・イン・コンビニ:飯田啓子 これもかなりくだらない。そこがまたコワイくらいにすごいと思った。確かにそれも風景だよね!、と思えそうな自分もまたコワイ。でもこのオバチャン(だってVTRの姿はそんな感じなので。)、ひたすらコンビニで弁当買ってカラーコピーとる。それを続けているときの心境ってどんな感じなのだろう。芸術家の精神ってやっぱりすごいな。

BEACON 2001:伊藤高志,稲垣貴士,KOSUGI+ANDO,吉岡洋 こちらは「心象的」という表現が似合う、とっても趣のある作品。ゆっくりと回る公園の風景に、子供達の騒ぐ声が小さく聞こえるし、かと思ったら団地のいち場面を、時間が早廻しされた光景がうつったりする。まさに記憶の断片を実体として表現されたようで、ちょっとやられたという気持ち。2001.07.30k.m

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最終更新:2008年05月11日 22:17