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ダニエル・リベスキンド展

  • −存在の6つの段階のための4つのユートピア−

建築が「場」に与える影響について思いがめぐる。ここしばらくの間、建築とは内部空間のことであるようにも考えてた。空間とはやはり内部であって、殻の内側を構想していく中で外部も出来上がっていくのが自然かと思っていた。

そしてクールハースが言っていたと思うが、「大きな建物はインテリアとエクステリアが別プロジェクトである」にも思考が開かれているような開放感があった。現代の東京がインテリア化されていくのを日々目撃していると、なおさらすべてが内部に思えてくる。

けれど今日オペラシティーで再び対峙したのは、建築が生み出すその外部空間だった。展示模型は、あたかも巨大な彫刻を思わせるような圧倒さでもってその場に存在していた。鑑賞者は模型と展示空間の隙間をぬって歩かねばならない。すれ違えないほど狭い隙間もあった。

残されたこの空間には床、壁、天井すべてにグラフィックが施されている。こちらも十分にインテリア化されてはいる。けれどそれにも増して強い残余を感じさせる巨大な模型。ただ大きいだけではこんな息苦しさは感じないだろう。それはこの形態に拠る。真っ白で彫刻的な模型だが、確実に建築としてのヒエラルキーが見て取れるその構成は、鑑賞者へ関係を望んでいるようだった。建築とはそのように関係性を強いるオブジェクトでもある。

それは訪れる鑑賞者に脅迫的なまでに与える外部だと思った。グラフィカルなキャンバスは終わりのないインテリアでもあり、相対的に発生した残余でもある。鋭利なフォルムにえぐり取られた外部が目に見えるように存在している。世界中の空気を切り刻んでそこに強い関係性を生んでいる姿が思い浮かぶ。とにかく実物を見たい。

2003.02.14 k.m


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