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ゲルハルト・リヒター展


新年早々、佐倉の川村美術館まで ゲルハルト・リヒター展を見に行った。3日なのにすごく混んでいて、こんな遠くでも好きな人はたくさん見に来るのだと感心。日本で初めて総合的に紹介する個展のようだ。

ゲルハルト・リヒターの展示を見に行って素直に驚いたことは、フォトペインティングはやっぱり油絵だったことだ。

図版で見ていた限りでは、ブレやボケは写真のそれとさほど変わらないのではと思っていた。あえて絵として再生させる意図の中へ、作家性を獲得しているのだと思ってはみても、なぜとか、その心はなんて考えてしまう。けれど実物を目の当たりにして素直に「美しい絵」だと思った。

特に「モーターボート」という作品は図版でも気に入っていたものだ。しかし近づいてみるとそこにはハケの跡しか存在していない。ブレた像の先を追いかけようとしても、筆の作ったテクスチャーしかなかった。ボートのつくり出した波と、彼らを覆う風は一体となって渦巻いていた。まるで波も人も風も一つの「うねり」が作り出した残像のように見えた。



写真には物質感が伴う。特にモノクロのザラザラした像には実物以上に、モノとしての見え方が存在してしまう。リヒターのフォトペインティングは、離れるとブレた像になり、近づくとハケのテクスチャーしか存在せず、いっこうにモノがあらわれない。

通常、広告写真にはメッセージが付加されている。僕らはそれが広告写真だったことを知らされることで、メッセージの欠如を見る。写真が作る像には、現実よりも匿名性が宿る。前後の文脈が欠如したのにも関わらず、あたかも現実のように現前するから。

「モーターボート」は、「広告写真を油絵で写し取りブラせる」ことで、向こうにあったはずのモノを完全に消し去り、メッセージを欠如させ、匿名性を宿らせる。3重に失った現実からは、「像」としての美しさと、追い求めるこちら側の焦燥ばかりが目立ってしまうのだった。2006-01-08/k.m

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