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クリエイターズ

  • 長大作/細谷巖/矢吹申彦
  • まだ見ぬ日常への案内者たち
  • 会場:世田谷美術館
  • 会期:2006年7月15日(土) - 9月24日(日)

長大作

長大作の椅子は坂倉事務所作品として写真では見ていたものの、こうしてまとめて見て座るのは初めて。とても上品な家具だと思った。ファブリックの素材感や色あいにはどおしても時代感覚がはいっているけど、座ると自分の身体にしっくりくる感じがとても心地よいし、リ・デザインとして更新していく手法もサスティナブルだと思った。畳の部屋で和服を着てテレビを見るための椅子としてデザインされた「低座椅子」。畳の上に置くことの出来る椅子デザインとしては貴重だし、座と椅子の生活を取り持つような位置にあるデザインとしても興味深い。

未だに畳の空間を要求される施主は多く、一方で椅子の生活も送っているせいか、時々不思議な使用かってになる場合もある。システムキッチンをオープンにして、その前で座卓を囲む要求などもある。床を上げられればよいのだが、マンションで階高もない時などバランスが悪い。基本的にアイレベルが下がるので、色んな寸法がアンバランスになりやすい。

細谷巖

キユーピーマヨネーズの広告は今見てもとてもカッコよい。写真が言葉とセットになって打ち上げるイメージはとても明解で、見る者を迷わせない説得力がある。

書体デザインには、恣意性のバランスが判断基準の多くを占めるのではないか。その言葉が持つ意味や形式性から逸脱しすぎると興ざめしてしまう。それは情報としての機能へ強引に差し込まれたGUIがシンプルさへ向かうのと同じように、ストイックな領域なんだろう。かといってデザインを依頼される訳だから、ゼロ回答はありえない。むしろそこで求められるのは、行儀の良さや、姿勢のよさなど、規範や品格を感じさせる行いで、深澤直人が得意とするような領域ではないか。

矢吹申彦

ベニヤ板に描かれたイラスト。とても味のあるタッチでも、完成されたものという無機質感。それに反したベニアのひび割れ。その陰影はポスターとして仕上がった状態にもくっきり写っている。そして言葉の入る前の原画と仕上がったポスターの関係は、写真のそれと比べて大分違うものだと思った。

写真には強烈に一体化されたメッセージが入り込むが、イラスト+言葉には、レイアウト上のバランスだけが目に付いて意味性は浮き上がらない。細谷巖の広告とは目的も狙いも違うので当然かと思うが、それを差し引いても写真が持つ仮装性の強さへ改めて驚く。2006-08-05/k.m

コメントをぜひ

  • ソネアキラ>こんにちは。子どもの夏休みの美術の課題で、この展覧会に行きました。子どものレポートが「椅子がかわいかった」おいおい(泣)2006-08-11 (金) 08:59:44
  • k.m>こんにちはー。ソネさんに書き換えてしまいましたw。いやー、でもゆくゆくはソネさんのような切れる文章かくお子様になるようで楽しみですねー!。2006-08-11 (金) 17:10:13
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カテゴリー-展示建築