カルチュラル・スタディーズ



  • カルチュラル・スタディーズ入門
  • ちくま新書 261
  • 上野俊哉・毛利嘉孝著
  • 740円
  • 2000.9
  • 実践カルチュラル・スタディーズ
  • ちくま新書 345
  • 上野俊哉・毛利嘉孝著
  • 740円
  • 2002.5

ナショナリズムを考えるとき、それが遠い世界の話として身近に感じられないもどかしさがある。以前読んだ「アメリカ政治の現場から」(渡辺将人)では、移民社会での政治状況がいかにアクチュアルにそれらの問題と対峙させられているかを物語っていた。黙っていれば特にマジョリティーの立場を脅かされない日本人である自分が、積極的に介入させられる時代が何れ訪れるのかの脅威すらない。

そんな中この著者は・・「何か楽しいことや面白いことをだらだらやっていくなかで、苦しいことや困ったことに球を打ち返していこうや」という気分を、あえて思想的な態度と研究上の立場にしてみたい。・・と言っているではないか。このマッタリとした誘いは僕らと諸問題をつなげる言葉となるような・・ならないような?。

確かにあげられた事例はどれも興味深く、参加したい衝動も感じた。だが依然として諸問題は切実に迫ってはこない。やや無理やりに対峙しているようにも見える。平和であることの退屈さから問題を捏造している、なんて言えないが「議論の連鎖が生むダイナミズムそれ自体を楽しんでいる」ように見える。でもそれでいいのか、そこから始まっていくんだろうな、とも思った。2003.02.18 k.m


カテゴリー-社会思想


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最終更新:2008年04月11日 08:02