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インフォアーツ論 ネットワーク的知性とはなにか?

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  • インフォアーツ論 ネットワーク的知性とはなにか?
  • 野村 一夫著
  • 洋泉社/ \720
  • 新書
  • 2003.1

著者の言う「インターネット的」なるものへ共感出来る人は、みなこのような問題意識をどこかで持っているのではないだろうか。それを「ネットワーク時代にふさわしい人間的条件」とまで言い切れるかは疑問だが、少なくとも理想のコミュニケーション環境を垣間見て、それをさらに持続させたいと願ったことはあると思う。


著作ではそのようなコミュニケーション過程を明確に記述しなおすことで、より広範囲に流通させることを狙っているようだ。教育者の視点でもラディカルさをもって言及している所は興味深い。やはり実践的な領域でイキイキと語れる人の話は面白い。学術的な言葉を使用しつつも、同時代として繋がっていく言葉も使ってくれないと興味をそそられない。


最近CGIを活用した自動でHTMLを生成させるBlog系の個人サイトをよく見かけるようになった。技術的な面からも、サイト運営の実績をある程度もつ方ばかりなのか、コンテンツも充実している。そこから派生したリンクをたどることでネットの現状がレベルの高いところにきていることも実感出来る。RJをはじめとするレビュー系サイトも増えた。多くの人々が、ネット上に自分の言葉で発信することの魅力を日常化しているように思う。


僕自身も個人サイトを4年ほど続けていくなかで、ネットでのふるまいかたを自然と探っている。そこへは「ある一定の距離感」でもって接することの「心地よさを」見出しているように思う。そう言えば吉田修一の「パレード」にはそのあたりの心情をうまく表した箇所がある。男女4人の同居生活をBBSやチャットにたとえている。引用すると、


そこは善意のみが入場可能な、出入り自由の空間なのだ。たぶん私たちが暮らしているこの部屋も、そんな場所なのだと思う。嫌なら出て行くしかない。いるなら笑っているしかない。(中略)まさにこれを「上辺だけの付き合い」と呼ぶのかも知れない。でも、私にはこれくらいが丁度いい。 あるいは


ここで暮らしている私は、間違いなく私が創り出した「この部屋用の私」である。よって、実際の私は、この部屋には存在しない。 など。このようにナイーブなまでの心遣いを僕らはそつなくこなしているのかも知れない。それは「場」が作り出す「関係性」に敏感であり、瞬時に自分の演じる役割を察知する能力を必要とする。これら一定のルールを経た状態で繰り広げられるコミュニケーションを、もはや希薄なものとして批判し無視することは出来ない。なぜならこの著作でも何度か言われているリアルとヴァーリャルの2言論などもはやなんの信憑性も持たないことを実感しているのだから。ネットでのコミュニケーション作法は実生活のそれとリンクしているし明確な境界は見出せないと思う。


さらに実際にお会いす方も何人か居る。一度お会いしてからのコミュニケーションは確実に変わっていく。それぞれがネット上に存在しながら地に着いた意識をお互いの発言から見出すことが出来るようになってきたと思う。今はオンラインとオフラインでコミュニケーションを繰り返していくことにとても魅力を感じる。カルチュラル・スタディーズなどにも魅力を感じるとすれば、このように「複数で語ること」を実践している姿にではないか。


そしてよりポジティブな視点からこれらの状況を捉えることを実践しているのがまさにこの著作だと思う。「ひらきこもり」のすすめ -デジタル時代の仕事論/ 渡辺 浩弐著などもこの文脈に載せられる書物ではないか。


多数のユーザーを取り込むことのみを見直した最近のネット-ビジネスモデルはコンテンツ重視の興味深いものばかりだ。しかしそれでも参加しているユーザー数の大きさに混乱してしまう。もっと少人数での刺激的なコミュニケーション活動を支援し、それらの連携を「システム化」してくれるうまいサイトはないか、なんて思う。著者の活動はその理想へ向けて確実に進んでいるようだ。とても興奮させられるマニュアルではないだろうか。


追記メモ/2003.02.14 ちなみのこの書籍は僕も参加しているレビュージャパンで課題図書となっています。皆さんのレビューも是非チェックしてみて下さい。

2003.02.13 k.m

カテゴリー-ネットエッセイ社会思想


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