●感想が難しいので枠付けをしてみた
登場人物の内面がほとんど会話でしか分からないまま、いったい誰に感情移入していけばよいのか迷った。かといって殺伐とした空気を伝えたいのかと思えば、深夜の出会いがあまりにも豊かすぎる。そこで物語を強引に2つのパターンに枠付けして、今回の小説を解釈し直してみた。
●以下の「2パターン」に物語りの見方を(限定的に)設定し、それらに沿って振り返ってみた。
●1)姉妹が主人公:世間にスポイルされた姉とその影でひっそり引きこもる妹のすれ違いドラマ
●2)高橋が主人公:ナルシストな男が、当たり障りのなさを装って自身を饒舌に語り自己陶酔していくドラマ
●1)、この小説の特徴として都市を俯瞰するような視点や、浅井エリの部屋でのカメラアイ的なまなざしが挙げられると思う。ただその狙いはよく分からなかった。けれど1)のような枠付けで見ていくと、スポイルされ精神的にも衰弱した姉が夜な夜な幽体離脱していったことを示しているのだと、見えなくもない。
容姿も良く、ちやほやされた姉が幽体離脱とはかなり皮肉な展開だ。さらに皮肉なのは、引きこもりがちだった妹がこのドラマでは大冒険を重ねていること。深夜のファミレスで男に声を掛けられる。ラブホテルに行き修羅場を見学。その従業員に世界の終わりを聞く。などなど。とてもアグレッシブな1日を過ごす冒険活劇のようだった。
そうやって立場の逆転を果たした妹が、その強みにおいて姉の苦しみをはじめて理解する。そして希望のきざしが・・。そんなドラマではないか。
●次に2)、主人公の高橋は今日も夜な夜な自己陶酔を求めてさまよう。そこへあらわれた引きこもりがちの浅井マリ。ターゲット発見とばかりに一晩で2度3度と再開を続け、小出しに自身の物語をじはじめる。最大の山場は司法試験を目指したくだりでは・・。
ここでこの小説が一番面白く感じられたのは、やはり村上春樹の得意とする男女の粋な会話があったからではないか。
今回は絶妙なやり取りと言うほどではなかったかもしれないが、とても「ミディアム・サイズ」でなかった自身の話にたいして、「サイズがつかみづらかった」と語る高橋も、そのあとのサンドイッチのやり取りで、「ツナを食べると、体に水銀がたまりやすいの」と言ってのけるマリもやはりただものではないと思った。
これはある意味で完成されたボケ・ツッコミではないか。セレブな夫婦漫才のようだ。
「よくわからない」 「そうかもしれない」 この2つは「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」にて、主人公の口癖として図書館のレファレンスをしている女性が指摘した言葉だ。今回の高橋も両方使っていた。
どちらも「確信をついているが、あまりにもストレートすぎてトゲトゲしさを感じさせてしまう」女性の言葉にたいして、「自分のペースをとりもどすかのように言い聞かせる」男の言葉ではないか。
つまり村上小説の中で男女はあらかじめキャラ付けが明確な形で限定されている。だからこそ僕らは安心してユーモアに富んだ会話をたのしめるのだ。
・・そうして、高橋の自己陶酔はおさまらず、マリとの別れのシーンでも彼は「小説のような長い手紙」を送ると言ってのけた。きっとそこには膨大な「自分ドラマ」が展開していることだろう。
この場合、カメラアイは高橋の妄想とも取れる。妹の話を聞いた彼が、浅井エリの状況を映画のシーンのようにドラマチックなモンタージュとして捏造しているだけではないか。姉妹のすれ違いなど自身のドラマの味付け程度にしか思っていないような・・。
●最後にフォローとして、1)、2)の何れにしろ残酷ドラマになってしまうのは、かなり歪んだ見方だったと反省・・。チキチキ勉強編用とは言え、無理やりだったw・・。2004-09-26/k.m
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