脚本家チャーリー・カウフマンの劇中劇的な作品。蘭にみせられた男をレポートしたドキュメント原作を映画化する依頼ではじまる。既にマルコビッチで成功しつつも、この派手な展開のない原作でスランプに陥る脚本家として自らを描いている。
双子の兄弟として一人二役をニコラスケイジが演じている。これはまさにもう一人の自分。いっぽうで門切り型のハリウッド的作品を好み、いっぽうでストーリーのない日常を描きたい願望で堂々巡り。
両者の力関係で、映画の展開そのものも活劇的になったり、文芸作品的になったりする。これは巧みな脚本のなせる技なのかとも思うが、ちょっとあざとい。そのこ慣れた手つきが逆にハリウッド的完璧さを思わせる。映画を作る者達がいずれも突き当たりそうな両者の関係だが、ヴェンダースのように商業映画と自主制作を交互に生みだしていたほどの切実さはない。
ただ活劇を入れることでハリウッド的と一蹴してしまうのは短絡的で、何が面白いかを探求する、またそれをハリウッド市場で実現させることの困難さのようなものを感じた。脚本家セミナーに登場するマッキーという、いかにもなオヤジキャラへの対応こそ慎重な局面なのだ。あそこで一蹴出来ないのがハリウッドで、しかも無自覚にノートを取っていることもありえないのが今の映画状況なのだろう。2004-02-14/k.m
カテゴリー-映画
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