自分の言葉で語るアート。見る側も創造する立場なのか・・。そのようにクリエイトしていく「境界線」が曖昧なところへアートの魅力を持っていこうというものだろうか。
確かにアートはただ見ているだけでは充分に楽しめない。それについて語り合い、どこが好きかを問い直す。その過程でのみ、見る側の楽しみはふくらむのではないだろうか。
そして生まれた解釈を自分の言葉でカタチにする。すでにインターネットではホームページの作成やら、ブログの更新やらでクリエイト感を味わっている人は多い。けれどそこには他者性がまだ希薄ではないか。
言い換えればもっと楽しめる機会にたいして引きこもってしまう構造を持っていないか。ネットには時々そんなことを思わせるものがある。アート・リテラシーにたいして開いた印象を持てるかはまだよく分からない。
最新の美術館の、例えば「森美術館」などへいっても、会員とかワークショプなどの企画は多いがまだ壁が大きいように思う。せっかくあれだけの大きな空間を持っているのだから、普通に展示するのではなくって、その場で「アート・リテラシー入門」を実践させるネタを入れてほしい。
来館者がパソコンに打ち込んだ感想を壁に貼っていくとか、学芸員同士の討論をライブするとか、インスピレーションをカタチにするイベントを行うとか・・。
インタラクティブ・アートのメディア芸術祭などは、とても楽しんでいる熱気を感じる。やはり参加させることをもっと大胆に表現のネタとしたアートが増えて欲しい。
この本を読んでいると、アートというものが日常生活のすぐそばてとても楽しそうに控えている様子が浮かぶ。そしてカタチあるものだけでなく、その思考自体に含まれているような気もした。
この感覚をもっと持続させるために、アート・リテラシーを実践していけばよいのだろうか。2004-11-14/k.m
関連リンク