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**の・ようなもの &amazon(B000H9HR78) -1981年 -企画:製作鈴木光 -企画・脚本・監督:森田芳光 -出演:秋吉久美子/伊藤克信/尾藤イサオ/でんでん/小林まさひろ/大野貴保 ---- 落語家・志ん魚(伊藤克信)は、風俗嬢・エリザベス(秋吉久美子)と女子校生・由美のふたりと付き合いながら日々修行に励むが、エリザベスはある日、遠くに引越すことになる。先輩も真打に昇進し、ひとりとり残されたように感じる志ん魚だが・・・。 ***i.m 若者のとりとめのない日常がよく描かれている。落語家になるという共通の夢をもちながら、スタイルの異なる仲間と日常を送る主人公。 風俗嬢と付き合いながらも、彼のコーチしている女子校の落研の女子校生とも付き合う。 その様な関係は風俗嬢の「バレなければいいじゃん」という言葉にのせられてのもの。主人公は良い事ではないと思いつつも、流される。女子校生の家で、彼女の父親に見せた落語が「面白くない」といわれ、負け惜しみを幾つか言い放し、彼女の家をあとにする。電車はすでになく、下宿先まで夜明けの街を歩いて行く主人公のシーンでは、主人公の存在意味を自らに言い聞かせている。とても印象に残る場面。当時だけでなく、いつの時代も若者というのは理想と現実のギャップに悩み、もがいている心境がとてもよく表れている。理想像にまだなれない自分は「の・ようなもの」。モノ(一人前)になる雰囲気、ニオイだけは味わえている。と、いったところだろうか・・・。 団地のシーンや女子校での落研の練習風景のシーンなどでは、作品のテンポが単一化しない様に所々に笑える場面は、観客を映画に惹きつけさせる、森田芳光監督ならではの作戦であり、多くの商業映画を撮れる(撮ることができる)森田監督の才能の一つであることは間違いないだろう。 ***k.m 自主映画出身の森田芳光の劇場用映画第1作であり、出世作。 デビュー作というだけあって、その後の監督の様々な魅力を彷彿させる作品になっていると思う。 ただストーリーを要約しても全く面白味は伝わらないだろう。あえて言えばそういった作品だ。確かに映画とはそういうもので、「ぴあ」などで数行の「あらすじ」を読んだだけで期待してみると、まったく裏切られたりするように、見てみなければ何も分からないのである。とは言え、何か指針がないと選ぶことすら出来ないくらい膨大な数でもあるのが実状で、どこかで気持ちが引っかかるのが「何かの縁」とでも思うのが、映画との出会いでなはいないだろうか。そういった意味で今回この映画を見に来られたのもきっと良い出会いだったのだと思った。 下北沢タウンホールの道路向かい、昭和の古びたスナック群を思わせる(実際スナックも入っているようだ)建物。開演30分前くらいに急いで行ったら、10分前からしか中へも入れない始末。その素っ気なさにむしろ新鮮味すら抱く。実際に内部を見渡せば、まさに昭和の香り満載。ちいさなカフェやら、タイル貼りのトイレやら、木家具のなかに入ったチラシ、狭い劇場・・・。そして開演。 いきなりテープの調子が悪くって、声がガビガビに震えている。そんな状態の良くないのがまた・・。とはいえこの「元気な」作品はとても面白い。次から次へと展開していき、それでいてそのテンポには無理が無く、最近で言えば「ハッシュ!」のような心地よさに繋がる。 古典落語を修行している「二つ目」の落語家シントト。僕はこの伊藤克信が演じるシントトにとても好感を持った。劇中でも彼に魅力を感じる女性が2人いるのだけど、僕が感じる好感はむしろ彼を取り巻く面々で、そしてこの映画全体にまで広がっている。そう、この作品には明るさがあって、なにか無情な響きがあって、そして永遠に続く幸せを感じる。 団地で繰り広げられる「天気予想」なる博打。女子高校生と落語家達の共同作戦による団地マスメディア総動員イベントには、オヤジと女子高生、団地という閉塞感と大衆の爆発、無機質に重なる住居群を映し出す映像。そのどれもにユーモアと風刺との合わさった絶妙さを感じる。この感覚はその後の森田作品を象徴しているシーンだと思った。今回ビデオでは見られなかったこの作品を、下北の「趣ある」劇場でみられ、妙に時代感覚もリンクしたりして収穫の多い日であった。 2002-05-19/i.m・k.m ***コメント -[[ソネアキラ]]>やはり主人公が、夜明けの街を落語で語りながら歩いていく、長まわしのシーンが忘れられませんね。それと、秋吉久美子ね。藤田敏八映画の彼女は、キラキラしていたなあ。ありえない、ニャニャニャニャニャ~の続きは、銀行のコピー考えながら、鋭意努力中です。SIZE(10){2004-01-27 (火) 21:38:19} -[[k.m]]>あの長まわしは確かにゾクゾクさせられましたー。藤田敏八はツィゴイネルワイゼンでものすごい魅力を感じました。もちろん「8月の濡れた砂」などの監督としても注目ですが。・・銀行のコピーというつながりがヒントに!?w。SIZE(10){2004-01-28 (水) 01:00:12} - 彼女俺にまたがりっぱなしで、朝まで休ませてもらえんかったww http://younube.net/calnova/58632 -- ボンちゃん (2009-05-30 11:12:00) - 気持ちよすぎてマジ天国みたいだったよwwwhttp://frskfrsk%2ecom/mentosss/11015646 -- デロリ庵 (2009-06-01 05:02:33) #comment ---- カテゴリー-[[映画]]
**の・ようなもの &amazon(B000H9HR78) -1981年 -企画:製作鈴木光 -企画・脚本・監督:森田芳光 -出演:秋吉久美子/伊藤克信/尾藤イサオ/でんでん/小林まさひろ/大野貴保 ---- 落語家・志ん魚(伊藤克信)は、風俗嬢・エリザベス(秋吉久美子)と女子校生・由美のふたりと付き合いながら日々修行に励むが、エリザベスはある日、遠くに引越すことになる。先輩も真打に昇進し、ひとりとり残されたように感じる志ん魚だが・・・。 ***i.m 若者のとりとめのない日常がよく描かれている。落語家になるという共通の夢をもちながら、スタイルの異なる仲間と日常を送る主人公。 風俗嬢と付き合いながらも、彼のコーチしている女子校の落研の女子校生とも付き合う。 その様な関係は風俗嬢の「バレなければいいじゃん」という言葉にのせられてのもの。主人公は良い事ではないと思いつつも、流される。女子校生の家で、彼女の父親に見せた落語が「面白くない」といわれ、負け惜しみを幾つか言い放し、彼女の家をあとにする。電車はすでになく、下宿先まで夜明けの街を歩いて行く主人公のシーンでは、主人公の存在意味を自らに言い聞かせている。とても印象に残る場面。当時だけでなく、いつの時代も若者というのは理想と現実のギャップに悩み、もがいている心境がとてもよく表れている。理想像にまだなれない自分は「の・ようなもの」。モノ(一人前)になる雰囲気、ニオイだけは味わえている。と、いったところだろうか・・・。 団地のシーンや女子校での落研の練習風景のシーンなどでは、作品のテンポが単一化しない様に所々に笑える場面は、観客を映画に惹きつけさせる、森田芳光監督ならではの作戦であり、多くの商業映画を撮れる(撮ることができる)森田監督の才能の一つであることは間違いないだろう。 ***k.m 自主映画出身の森田芳光の劇場用映画第1作であり、出世作。 デビュー作というだけあって、その後の監督の様々な魅力を彷彿させる作品になっていると思う。 ただストーリーを要約しても全く面白味は伝わらないだろう。あえて言えばそういった作品だ。確かに映画とはそういうもので、「ぴあ」などで数行の「あらすじ」を読んだだけで期待してみると、まったく裏切られたりするように、見てみなければ何も分からないのである。とは言え、何か指針がないと選ぶことすら出来ないくらい膨大な数でもあるのが実状で、どこかで気持ちが引っかかるのが「何かの縁」とでも思うのが、映画との出会いでなはいないだろうか。そういった意味で今回この映画を見に来られたのもきっと良い出会いだったのだと思った。 下北沢タウンホールの道路向かい、昭和の古びたスナック群を思わせる(実際スナックも入っているようだ)建物。開演30分前くらいに急いで行ったら、10分前からしか中へも入れない始末。その素っ気なさにむしろ新鮮味すら抱く。実際に内部を見渡せば、まさに昭和の香り満載。ちいさなカフェやら、タイル貼りのトイレやら、木家具のなかに入ったチラシ、狭い劇場・・・。そして開演。 いきなりテープの調子が悪くって、声がガビガビに震えている。そんな状態の良くないのがまた・・。とはいえこの「元気な」作品はとても面白い。次から次へと展開していき、それでいてそのテンポには無理が無く、最近で言えば「ハッシュ!」のような心地よさに繋がる。 古典落語を修行している「二つ目」の落語家シントト。僕はこの伊藤克信が演じるシントトにとても好感を持った。劇中でも彼に魅力を感じる女性が2人いるのだけど、僕が感じる好感はむしろ彼を取り巻く面々で、そしてこの映画全体にまで広がっている。そう、この作品には明るさがあって、なにか無情な響きがあって、そして永遠に続く幸せを感じる。 団地で繰り広げられる「天気予想」なる博打。女子高校生と落語家達の共同作戦による団地マスメディア総動員イベントには、オヤジと女子高生、団地という閉塞感と大衆の爆発、無機質に重なる住居群を映し出す映像。そのどれもにユーモアと風刺との合わさった絶妙さを感じる。この感覚はその後の森田作品を象徴しているシーンだと思った。今回ビデオでは見られなかったこの作品を、下北の「趣ある」劇場でみられ、妙に時代感覚もリンクしたりして収穫の多い日であった。 2002-05-19/i.m・k.m ***コメント -[[ソネアキラ]]>やはり主人公が、夜明けの街を落語で語りながら歩いていく、長まわしのシーンが忘れられませんね。それと、秋吉久美子ね。藤田敏八映画の彼女は、キラキラしていたなあ。ありえない、ニャニャニャニャニャ~の続きは、銀行のコピー考えながら、鋭意努力中です。SIZE(10){2004-01-27 (火) 21:38:19} -[[k.m]]>あの長まわしは確かにゾクゾクさせられましたー。藤田敏八はツィゴイネルワイゼンでものすごい魅力を感じました。もちろん「8月の濡れた砂」などの監督としても注目ですが。・・銀行のコピーというつながりがヒントに!?w。SIZE(10){2004-01-28 (水) 01:00:12} ---- カテゴリー-[[映画]]

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