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*近況-2003-6 ***2003-06-30 うわぁーもう7月だ●早いなー。海の日。海行きたい。山もいい。のんびりと・・。ぼーっっとしたい。いまもしてた・・。今年こそ沖縄行くか。あっというまにお盆休みだよ。「時間」について考える・・。●昨晩はついにネットで本を購入すべく手続きにチャレンジ。今時みなさんやられていることだろうに・・。新宿の紀伊国屋で30分くらい探したあげく、コンピューター検索したら、店内にありませんて・・。その時決めた。もうネットだと。けれどその30分で読みたい本をわんさか発見。この感覚はやはり本屋ならではのモノ。けどそれはそれ、これはこれだ。●近所の紀伊国屋は最近、啓文堂書店が出来たからかリニューアルをした。期待して先日行ったら、配置がちょっと変わってるだけだ。なんだそれ。期待させて・・。まぁ見やすくはなったが。それにしてもプレゼンが弱いぞ。古いぞ。もっとわくわくさせる並べ方、品揃えにしてくれ。場所柄無理でもないと思うが。よっぽど啓文堂のほうが品揃えこそ少ないが、見栄えはよい。 ***2003-06-29 &image(http://axn.co.jp/movie/images/photo/niddeguepes.jpg,width=200) 「仁義なき戦い」、「スズメバチ」●仁義は、随分と前から思い出すときは貸出中だったりで、ついに見たという気分。先に「仁義の墓場」を見ていたせいか、深作作品のタッチに懐かしさすら。従来の任侠映画を知らないので、この実録シリーズの位置づけがよく見えていないが、容赦ない殺し合いという迫り来る激しさはすごい。たっちゃんや松方弘樹がかっこいい。けれど彼らが1作品目で死んでしまうとは思わなかった。●唯一仁義を貫こうとする菅原文太のリリシズムは、いまだ続いているように見える。前者二人が「いいオジサン」として凶器を過去の遺産としているのにたいし、文太のリリシズムは健在だ。この違いは?・・。●「スズメバチ」はなかなか迫力があって、けれどその「なかなか」と言われてしまう所がこの映画の悲しい限界で、それはハリウッド的なものを目指したときに漂うヨーロッパ映画全般にも言えそうなことではないだろうか。ただアクションを見せたかったという気持ちがとても良く出ていて、内容など中途半端に入れるなと言わんばかりに、突然死んでいく仲間に感情移入するにも事前のドラマ不足でイマイチ入り込めないことなどお構いなしだ。それは見ようによってはアンチハリウッドともなる。●ようはアクションを売り物にしているのに、あたかも愛をテーマにまとめ上げるあの仕草が気に入らないのだろう。それは分かる(と勝手に一人納得しているだけ・・)。 ***2003-06-28 「ヴァージニア・ウルフ短編集」の中の『堅固な対象』は、2度読んだら急に面白くなった。一見すると眠くなってしまうこの文章は、繰り返さないと僕には分からない面白さだ。「意識の流れ」と言うよりも、「小説を見ている自分を見ている」のだという、二重の視点を感じた。 ***2003-06-27 帰りにポテトチップスを買う。ああ、疲れているなー。ストレス発散のために食べているのだろうが、今日はなんとも美味しくなかった。楽しめない自分へさらにめげてしまう。なのでやけ食いした。それが妙な満腹感をきたし、歯がゆい不快感と共にコレを書いている。どうしてカリカリ系が好きなのか。とにかく食感が命。それはもう甘党とおなじように、カリカリ党なのだ。しなしな系も食べられるようになって大人を感じた。そして再度カリカリを見直すのだ。奥深いのだ。 ***2003-06-26 今日は徹夜の予定だったがセーフ。と言っても約2名は徹夜しています。ご苦労様です。お休みなさい。 ***2003-06-25 ナイン・ソウルズは楽しみ。リトルモアのトークショーも行きたいけど・・。最近行ってないなートークショー。そう言えば建築文化「U-35のポテンシャル」も申し込んだけど行けるかどうか。 ***2003-06-24 &image(http://ec2.images-amazon.com/images/I/513HV6N2M5L._SL500_AA240_.jpg) '''人間社会の全体的悪夢が、たとえば大地や、空気や、大空を糧にしてふくらむのと同様に、私たちの個人的妄想は今や際限なく拡がるのだ。'''●バタイユの「眼球譚」は、第二部の「暗号」によってそのトラウマ的な動機が明かされる。しかしその猥褻なイメージの連続が与えたショックは、第二部の存在などもろともしないのだけれど。眼球と玉子と尿と・・それらが身体不随で盲目の父像から来ているなど、もはやどうでもよいと言えば・・。ただ解説にもあるように、「生活の思想化、さらには思想の生活化」という著者の希有な具体例に触れたという意味でとても衝撃的だった。●「映画を見る眼」の第3回と4回を見る。小栗監督のじっくりとした語りようには、すっかり魅了されている。これは映画をより楽しむためのスタディーとしてはとても良い。映画空間という表現はよく使うのだが、3次元を2次元に置き換える際に、時間の大きさも変わってくるという考え、つまり映画時間がつくられる。カット割には空間と同時に時間を構成する仕掛けが入り込んでいることへ自覚的に映画を見てみよう。 ***2003-06-23 サッカーはビデオに撮って朝早く起きて見た。時間がないので早送りで見ていたせいか少しイライラして、でもそれだけではないぞと思いつつ、なんだか歯切れが悪いし、押しているようでフランス戦ほど迫力もない。そうかと思うウチに負けてしまった、ああ無常・・。疲れ倍増、1週間でだしわるぅ・・。 ***2003-06-22 リラクゼーションは●意識的に確保していかないと・・・みたいな話しをしていた。近所に出来たクイックマッザージがオープン価格だったので、行ってみた。実はこのような所は初めてで、少し緊張しつつ実際にはとても満足。思わず寝てしまいそうに成る頃、お疲れさまでしたとのことで、これはまた来てしまいそうだと。帰り道、今後はプール行って帰りにマッサージして、かなりリラックスだぁ、みたいにすぐに盛り上がり過ぎて現実からはなれてしまい、後へ続かないという悪い癖を自覚しつつ・・・。●「チョコレート」を見た。なんだこうして毎週映画とかみてるのもリラクゼーションなんだよと思いつつ・・。ゆったりとした間と音楽で描き、大人の雰囲気あふれる映画だ。ただラストの描きは少し迷うところで、色んな解釈も浮かび、でもアメリカ映画として見ればこうだなという所で手を打つのだった。 ***2003-06-21 サッカーを見た。●頑張って見てしまった。でもなかなか良い試合でした。ああ徹夜明けのようなけだるさ。外は暑いし6月の気候かい、これって。●バタイユの処女小説[[●>http://www.kawade.co.jp/bookdata/index.asp?ISBN=430946227]]をぼちぼちと・・。うわぁすごいなコレ。徹夜明けには辛いな。あまり読み進められず。サドを思い出すよ・・。●モスで軽く食べていたら、なんだよナンタコスはじまってたの?。去年食べて是非またと期待していたよ。でもまた次回だよ、ああ。●いや、来週からだった。 ***2003-06-20 「[[熱帯魚]]」は最後の「突風」が一番どきどきした。3編ともなにか共通点があると感じた。とてもナイーブなところをつかまえている。これについてもっと考えたい。「サラサーテの盤」も読んでみた。贅肉の取れた文章というのだろうか。三島由紀夫が解説で、それもべた褒めなので驚いた。●「突風」。映画化してください[[●>http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Screen/3097/picked_new.htm]](11日の所)。 ***2003-06-19 '''デジタル技術を中心に置いた、きわめて珍しい非宗教的宗教、反物語的共同体が誕生することになるのだから'''[[●>http://www.realtokyo.co.jp/japanese/column/f_column.htm]]。●宮島さんの新しいインタラクティブアート?。なにやら時間のかかった大がかりな感じだがとても楽しそう。きっと自分もそして身近なところで絶対に購入する人にはお目にかかれないだろうが・・。●これは50万円という価格よりも、それを十分に楽しむコストのほうが大きそうだ、そんな貧乏性の僕には向かないが、せめてそこから派生した出来事くらいは追ってみたい。僕の消費って、こんなリーズナブルさだけでいいのだろうか。 ***2003-06-18 &image(http://ec2.images-amazon.com/images/I/51B35K9CF5L._SL500_AA240_.jpg) 吉田修一の「[[熱帯魚]]」を読み始めてまもなく、「羅生門」のコトが取り上げられていて、それがどうも気になったので、そっちを取りあえず読む。と言うのも、下人が老婆を引剥したのは「淋しくって仕方がなかったから」・・が気になった。そう思って読んでみれば、確かに下人は励まされたのかもしれない。絶望の淵に追いやられ、そこから抜け出す術に彷徨という下人の孤独は、結果的に老婆によって励まされたのだ。寸前に抱いていた老婆への強い憎悪は、孤独の裏返しであり、屈託のないその言葉へ、迷いと孤独とが同時に方向を変えたのも、同様の孤独さからくるものであって、実際には力の作用はかわっていないのではないか。 ***2003-06-17 引き続き九鬼周造の引用。●情緒の系図●日本の精神生活が「寂び」や「侘び」を尊重するのは、「寂しさ」や「侘びしさ」の欠如生そのものを楽しむまでに訓練されてるためである。●風流に関する一考察●間隔の量的関係はまたおのずから対象の性質を規程するから、そこに対象の色合いが出てくるのも必然である。(量から質へ)●「映画を見る眼」何度も録画失敗!、なんとか第2回を今日見られた。面白い。有り難い。録画悔しい。 ***2003-06-16 &image(http://ecx.images-amazon.com/images/I/51WNVRFDWHL._SL500_AA240_.jpg) 九鬼周造●「いきの構造」によると、「いき」とは鋭い緊張関係のことを言い、反対語の「野暮」とは緊張感を喪失し定位置に安心しきった姿勢であると言う。これは大和民族の特殊な存在様態の顕著な自己表明の一つであると考えて差支えないと言い、西洋文化と違った一民族の核心的な意味を言語化したものとしている。●「いき」な色とは派手な色ではなく、灰色、褐色、青色の三系統のいずれかが属するものと考えている。●「いき」な縞模様はヨコシマではなくタテシマだそう。●確かに緊張感はタテのほうがある。灰色、褐色、青色・・このサイトに使っている色ではないか?。そう!ここは「いき」を目指していたのである・・。緊張感ありますかぁ・・。 ***2003-06-15 &image(http://www.shinchosha.co.jp/_shincho/200306/cover_s.gif) 我が家のトトロ●何週間も途中でほうりだしたまま、なんとか読み終えた。まだ2つ目の舞城作品だが、阿修羅ガールとはまた違った側面をっもった小説だ。●トトロという架空の存在と、それを成立させてしまう家族の心境を読む主人公の洞察と、彼自身がトトロを必要としているかもしれないという自己分析と、友人の求める自己実現欲にもトトロを求める気持ちをかさねるあたりと、すべて人生に対する作者のアフォリズム的な態度が見え隠れしていそうな所と、今の時代に小説を書こうとする態度と、そういったものが何となく混ざり合っていると感じながら読んでしまう自分と、素直に作品に接しないのはこのように同時代的な感情が無意識に出てくるからなのか、むしろそんな態度こそ純粋に小説というメディアへ接していることの証なのではないかという思いと、とにかく作者を取り巻く様々な言説がノイズとなって作品自体をも取り巻き、今月の文芸誌にも3つくらい新作が載るくらいに注目され、また早作なのも、まだ2つしか読んでいなかったことを必要以上に反省させられるのも、まったくもって脅迫観念以上のなにものでのない。 ***2003-06-14 気分的にも余裕が出来たので、久しぶりに色々とまわった。●まずはオープンしたプラダを見に表参道へ。例の地下通路から入り、プラダスポーツへ。薄黄色い塗装だけのインテリアは、簡素だ。それは建築家のつくる空間としては、真っ当なアプローチで、菱形の構造も素直につたわる。けれどショップとしての華やかさには欠け、実際に商品の陳列はかなりかみ合っていないという印象を受けた。建物の遊び心以上に、プラダの商品を面白くディスプレイしてくれるのかと期待していたのだが。あれでは肩すかしもいいところ。きっと早急に見直しがかかることだろう(!?)。●アンデルセンでサンドイッチを食べ、パンを買う。そのままNADiffへと向かう。東急文化村の方にしか行ったことはなかったのだが、「マーケット・トレーニング・システム」という「4G44DG」なる3人のクリエーターによる展示を見る目的もあった。展示は、まったく予想外に簡素で、またしても肩すかし。せめて先週きていれば、森美術館キュレーターによるギャラリートークが聞けたのに・・。それでも「本屋版セレクトショップ」なる「ナディッフ」のラインナップには興味津々で、「easyt reveier」というインディーズ雑誌と、飯島洋一の新書を購入。親書などはどこでも買えるのだが、セレクトショップの強みは、そんな気にさせる「並び」にある。括りが好ましいと、同じ本でもより魅力的に見えるものだし。●そこから同潤会アパートの仮囲いアートを見物し、乃木坂のギャラ間へ。妹島+西沢のSANAA展。取り立ててどうのと言った感想も持てず、1階の衛生陶器CERAショールームをむしろ興味深くチェックした。 ***2003-06-12 「10宅論」は思ったより面白かった。●バルトだけでなく、オーギュスタン・ベルクについても再考したい。しかも解説で山口昌男氏がびしっと学術的な言い方でフォローしているし。なかなか良くできている文庫・・。ベルグの本が見当たらない。確かに昔読んだはず。棚から「いき」の構造を見つける。そういえば数年前に買ったまま読んでいなかった。これも関連ありそうなテーマなので手に取る。それにしてもこのような比較文化論的書物は、大胆な解釈がなければ面白みもない。上記のものや、「風土」なんかも、大胆だから面白い。得てしてそのような思い切りは批判の対象にもなる。大抵は緻密な根拠のようなものの不在を指摘されるのだけれど。僕はそんな専門家魂のようなものはないので、単に面白ければよいのだ。●ところで、こうしたネットでの活動を現実(ネットも当然現実なのだが、ここではそう呼んでみる。)生活とどう結び付けていくか。そんな命題を以前は持っていたようにも思う。けれど今はそのような考えはあまりない。それは既に現実となって結びついているからだとも思うが、どこかで分けて考えるようにもなっているのだろうか。例えば仕事場でネットの話題をすることはまずない。これらの活動もほとんど知られていない。かといって隠しているわけでもなく、単に興味を持ちそうにないことを、どこかで感じているのだ。映画の趣味を押し付けることが不毛なように、ネットでの活動というのも、説明するきっかけや動機を持たない。あるとすれば、ネット上で知られて、それが実は僕だった。そんなほとんどあり得ないだろう流れでないと説明してもきっと不毛だ。●このような態度から自然とネット活動は現実生活と微妙に乖離していく傾向を持つ。そこに生まれる自意識とは?。ネット上で読まれることを前提に日常を報告した文字列を生産していく中で生まれてくる自己言及意識とは?。 ***2003-06-11 久々に過去のノートをwiki化した。あと幾つあるだろうか。今回は4年前のが多かった。読んでいて恥ずかしいものばかり。それはいまもそうなので、あまり気にしても・・。[[雑誌レビュー>雑誌レビュー。(偏向的)]]とかやっていた。けれどずいぶん中途半端な状態だった。いまあれらの雑誌はどうか。広告もあのころは楽しかった。いまは全くみていない。まだ広告批評の方が勢いあるかも。リラックスはあの頃よりもアイドル写真集っぽくなってきたように思う。けど巻末のごちゃっとした雰囲気は好きだ。PPPも同様に見える。結局グラビア的な作りになっていくこれらの雑誌に、何だか物足りなさを覚える。売れなきゃしょうがないんだけど。異色で、おお!っとうなずける雑誌。最近みないかも。 ***2003-06-10 &image(http://www.chikumashobo.co.jp/photo/book/large/9784480023827.jpg) 隈研吾さんの「10宅論」を読んでいたら、あれっ読んだかも知れない。みたいな。ああきっと2度買ってしまったのだろう。それでもなかなか楽しめそうなので、記憶が曖昧なまま読み進む。これを読んで再びバルトの「表徴の帝国」について考えられそうかもしれないし。隈さんは哲学を引用して建築を語るその上の世代を批判的に扱いながら登場し、その下の世代はさらにそんな隈さんの姿勢を批判的に扱って、しかしどうやら明解さだけでキャッチしすぎて浅い気分的なお話が多いのも現状で、そんななかで依然として哲学をまといながらの言及は、随分と閉鎖的にもみえて、建築を語るのは多様に難しい。 ***2003-06-08 アルゼンチン戦を見た。●2-0の時はなんとか0点は避けてくれ!と思いつつ、3点、4点ときたひにはジーコを責めたくもなるのだった。気になったのは、解説が終始中田英べた褒めだったこと。攻め込まれようが、攻めようが、常に彼を称賛した解説ばかり。そんなにこの選手はすごいのか。他には誉めるべき人がいなさすぎなのか。とにかく未だに彼を超える評判が持てないところに大きな限界を感じてもしまうのだった。●ところでキアヌ・リーブスが表紙のAERA6.16号には、「沈没日本」憂うナヨナリズムという記事があって、ぷちナショなのりで書かれていた。「SAPIO」が学生の研究で引用されることが増えたとか、かわぐちかいじの「ジパング」の売れ行きが600万部超えたとか、小熊英二氏のコメントもあり。「表現回路の貧困を憂う」と題したそれは、先日読んだぷちナショ続編での福田氏のコメントにも近い。 第11回フランス映画祭横浜●うわぁ忘れてた。もうチケット取れないかも・・。ティーチインが熱いのです。この映画祭。[[映画を見る眼~映像の文体を考える>http://www.nhk.or.jp/ningenkoza/200306/mon.html]]。「泥の河」は良い映画だったぞ。●携帯とメガネを新しくした。そう、両方とも無くしました。ああ無情・・。●と言うわけで、今回はTu-kaに決定。これでPHS2社(すでに忘れました)→au→ドコモ→J-PHONE→Tu-kaと、ほぼ全メーカーを横断。それも数年で。今回は正直auにするつもりだったが、かっこいい機種がなかったのでシンプルなTu-kaに決めた。●こうして携帯を変えるのはとても気分転換にもよいのだが、その原因がなんとも・・。メガネをなくしたのははじめてで・・いや、以前もタクシーの中へ置いていき、そのときは取りに行った。今回はもうどこでなくしたのかも不明なので、すぐに買いに来た。2年ぶりくらいに新調。●まあこれも気分転換だ。それにしても両者まとめて購入し、カフェで小1時間お茶していたらもう出来上がりだ。便利な世の中である。僕はどちらにもあまり執着はなく、ないと不便だなくらいで、常に必要と言うわけでもないが、あえて持たないという意固地でもなく、この際カメラ付きという小さなときめきもありつつ、実際にはゴテゴテしい形態へ拒絶反応を起こすし、比較的新しいものにはかっこいいものも無くはないが、2万円も払って手にするのもばからしいし、そもそも執着ないのだから。●メガネだって打ち合わせの時に書類がみえないから仕方なくかけるのであって、普段の作業では必要ないし、知り合いにすれ違っても気づかないという不義理をやや痛ましく(それも寸前で気づいた場合のみ)思うけれども、かけっぱなしはいやだし、シンドイし。未だに視力がよかった頃の意識を捨てきれず、そもそも最初に購入したコンタクトが合わなかったからいけなかったのだと思ってみたりもする。 ***2003-06-07 またしても二日酔い。そしてとんでもない心配をみなさまに・・。ああ、これは書くのもつらい。体力的にも精神的にも回復しないと、とても書けない内容だ・・。●新建築に掲載されていた六鹿さんのエッセイ●なぜ六本木ヒルズは成功しつつあるのか●リーダー自身のコミットメント●都市こそ素晴らしいというメッセージ●文化こそが経済の上位にあるというメタファー●されどプロジェクトX●そしてみんな招く ***2003-06-04 音楽ホール1階段床勾配の躯体が打ち上がった。急に平面の全貌が見えてきて、その大きさにちょっとひるんだ。この先2階席の張り出しを見たらもっとひるむのだろうか。上部の鉄骨が組上がったら・・。しかし膨大な施工図に一番ひるんでしまうのだった・・。●クリニックの合同定例にはじめて参加。現場事務所が駅から意外と離れていたし、こちらの勘違いで30分も遅刻してしまった。予算とやりたいことの調整がまだとれていなく、とても現場乗り込みという気分ではないが、今後毎週打ち合わせしましょうというコトになった。現場が増えてきた。●コンペ大詰め。手分けしてプレゼに取りかかる。ポーチの演出を忘れていた。10時頃から取りかかる。終電前にはスケッチ2案完成。明日でラスト。材料の手配もれがあるかも。その時はイメージで当て込もう。●週末の軽井沢現場見学が伸びた。小さな現場なのに随分と時間掛けている。さぞかし出来がいいのだろうと、担当でないことをいいことに、今から楽しみだ。●プロポーザルがあるっぽい。取りあえずいまはそこまで気がまわりませぬ・・。●週明け図渡しの改修工事。すっかりお任せしてるんだけど、現場管理も彼やらないかな。まあ同じ所で違う現場やってるんだけど。 ***2003-06-03 うわー今週は徹夜かなぁ。きっと徹夜だろうなぁ。もう若くないからなぁ。大丈夫かなぁ。体力つけるにも、体力つけるための体力がないんだよなぁ。まずは体力づくりのための体力づくりの基礎体力づくりから初めて・・・。 ***2003-06-01 &image(http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/SW/prada_aoym/img/prada_aoym_0306_1.jpg,width=200) 所用で南青山へ行った。プラダ。オープン直前を見る。外観にも驚いたが、足元があんなになっていたなんて!。コレッツィオーネで買い物をし、渋谷まで歩き、買い物をし、六本木へ。オープン後初めてのヒルズ。観光地として賑わっていて、大きいせいか、そんなでもない、いや、でもこんな光景を見るのもなかなかないかも。佐藤可士和がクリエイティブディレクターをしたというTUTAYAへ。スタバと一体になった本屋。コーヒー片手に本屋をぶらり。好きなだけ本を持って、イスでのんびりと。日本でもこういった店が普通に使われるようになると面白いのだけれど。まだ観光地なので、リアルではない。新宿の青山ブックセンターでもスタバとコラボしていたが、こちらのほうが本格的だ。基本的に並ばないとお茶出来ないので、足が棒になる。けれど街区中に座れる場所もある。イヌ自慢の方も多く、セレブ、観光客、どちらも装っていて疲れる街だ。「東京ランダムウォーク」に立ち寄り、そして集まりへと向かった。今日初めて会う方を楽しみにしていたのだけど、来られなく残念。しかし、ご無沙汰という時間を感じさせないメンバー。今後も進展を期待したい会なのであった。
*近況-2003-6 ***2003-06-30 うわぁーもう7月だ●早いなー。海の日。海行きたい。山もいい。のんびりと・・。ぼーっっとしたい。いまもしてた・・。今年こそ沖縄行くか。あっというまにお盆休みだよ。「時間」について考える・・。●昨晩はついにネットで本を購入すべく手続きにチャレンジ。今時みなさんやられていることだろうに・・。新宿の紀伊国屋で30分くらい探したあげく、コンピューター検索したら、店内にありませんて・・。その時決めた。もうネットだと。けれどその30分で読みたい本をわんさか発見。この感覚はやはり本屋ならではのモノ。けどそれはそれ、これはこれだ。●近所の紀伊国屋は最近、啓文堂書店が出来たからかリニューアルをした。期待して先日行ったら、配置がちょっと変わってるだけだ。なんだそれ。期待させて・・。まぁ見やすくはなったが。それにしてもプレゼンが弱いぞ。古いぞ。もっとわくわくさせる並べ方、品揃えにしてくれ。場所柄無理でもないと思うが。よっぽど啓文堂のほうが品揃えこそ少ないが、見栄えはよい。 ***2003-06-29 &image(http://axn.co.jp/movie/images/photo/niddeguepes.jpg,width=100) 「仁義なき戦い」、「スズメバチ」●仁義は、随分と前から思い出すときは貸出中だったりで、ついに見たという気分。先に「仁義の墓場」を見ていたせいか、深作作品のタッチに懐かしさすら。従来の任侠映画を知らないので、この実録シリーズの位置づけがよく見えていないが、容赦ない殺し合いという迫り来る激しさはすごい。たっちゃんや松方弘樹がかっこいい。けれど彼らが1作品目で死んでしまうとは思わなかった。●唯一仁義を貫こうとする菅原文太のリリシズムは、いまだ続いているように見える。前者二人が「いいオジサン」として凶器を過去の遺産としているのにたいし、文太のリリシズムは健在だ。この違いは?・・。●「スズメバチ」はなかなか迫力があって、けれどその「なかなか」と言われてしまう所がこの映画の悲しい限界で、それはハリウッド的なものを目指したときに漂うヨーロッパ映画全般にも言えそうなことではないだろうか。ただアクションを見せたかったという気持ちがとても良く出ていて、内容など中途半端に入れるなと言わんばかりに、突然死んでいく仲間に感情移入するにも事前のドラマ不足でイマイチ入り込めないことなどお構いなしだ。それは見ようによってはアンチハリウッドともなる。●ようはアクションを売り物にしているのに、あたかも愛をテーマにまとめ上げるあの仕草が気に入らないのだろう。それは分かる(と勝手に一人納得しているだけ・・)。 ***2003-06-28 「ヴァージニア・ウルフ短編集」の中の『堅固な対象』は、2度読んだら急に面白くなった。一見すると眠くなってしまうこの文章は、繰り返さないと僕には分からない面白さだ。「意識の流れ」と言うよりも、「小説を見ている自分を見ている」のだという、二重の視点を感じた。 ***2003-06-27 帰りにポテトチップスを買う。ああ、疲れているなー。ストレス発散のために食べているのだろうが、今日はなんとも美味しくなかった。楽しめない自分へさらにめげてしまう。なのでやけ食いした。それが妙な満腹感をきたし、歯がゆい不快感と共にコレを書いている。どうしてカリカリ系が好きなのか。とにかく食感が命。それはもう甘党とおなじように、カリカリ党なのだ。しなしな系も食べられるようになって大人を感じた。そして再度カリカリを見直すのだ。奥深いのだ。 ***2003-06-26 今日は徹夜の予定だったがセーフ。と言っても約2名は徹夜しています。ご苦労様です。お休みなさい。 ***2003-06-25 ナイン・ソウルズは楽しみ。リトルモアのトークショーも行きたいけど・・。最近行ってないなートークショー。そう言えば建築文化「U-35のポテンシャル」も申し込んだけど行けるかどうか。 ***2003-06-24 &image(http://ec2.images-amazon.com/images/I/513HV6N2M5L._SL500_AA240_.jpg,width=100) '''人間社会の全体的悪夢が、たとえば大地や、空気や、大空を糧にしてふくらむのと同様に、私たちの個人的妄想は今や際限なく拡がるのだ。'''●バタイユの「眼球譚」は、第二部の「暗号」によってそのトラウマ的な動機が明かされる。しかしその猥褻なイメージの連続が与えたショックは、第二部の存在などもろともしないのだけれど。眼球と玉子と尿と・・それらが身体不随で盲目の父像から来ているなど、もはやどうでもよいと言えば・・。ただ解説にもあるように、「生活の思想化、さらには思想の生活化」という著者の希有な具体例に触れたという意味でとても衝撃的だった。●「映画を見る眼」の第3回と4回を見る。小栗監督のじっくりとした語りようには、すっかり魅了されている。これは映画をより楽しむためのスタディーとしてはとても良い。映画空間という表現はよく使うのだが、3次元を2次元に置き換える際に、時間の大きさも変わってくるという考え、つまり映画時間がつくられる。カット割には空間と同時に時間を構成する仕掛けが入り込んでいることへ自覚的に映画を見てみよう。 ***2003-06-23 サッカーはビデオに撮って朝早く起きて見た。時間がないので早送りで見ていたせいか少しイライラして、でもそれだけではないぞと思いつつ、なんだか歯切れが悪いし、押しているようでフランス戦ほど迫力もない。そうかと思うウチに負けてしまった、ああ無常・・。疲れ倍増、1週間でだしわるぅ・・。 ***2003-06-22 リラクゼーションは●意識的に確保していかないと・・・みたいな話しをしていた。近所に出来たクイックマッザージがオープン価格だったので、行ってみた。実はこのような所は初めてで、少し緊張しつつ実際にはとても満足。思わず寝てしまいそうに成る頃、お疲れさまでしたとのことで、これはまた来てしまいそうだと。帰り道、今後はプール行って帰りにマッサージして、かなりリラックスだぁ、みたいにすぐに盛り上がり過ぎて現実からはなれてしまい、後へ続かないという悪い癖を自覚しつつ・・・。●「チョコレート」を見た。なんだこうして毎週映画とかみてるのもリラクゼーションなんだよと思いつつ・・。ゆったりとした間と音楽で描き、大人の雰囲気あふれる映画だ。ただラストの描きは少し迷うところで、色んな解釈も浮かび、でもアメリカ映画として見ればこうだなという所で手を打つのだった。 ***2003-06-21 サッカーを見た。●頑張って見てしまった。でもなかなか良い試合でした。ああ徹夜明けのようなけだるさ。外は暑いし6月の気候かい、これって。●バタイユの処女小説[[●>http://www.kawade.co.jp/bookdata/index.asp?ISBN=430946227]]をぼちぼちと・・。うわぁすごいなコレ。徹夜明けには辛いな。あまり読み進められず。サドを思い出すよ・・。●モスで軽く食べていたら、なんだよナンタコスはじまってたの?。去年食べて是非またと期待していたよ。でもまた次回だよ、ああ。●いや、来週からだった。 ***2003-06-20 「[[熱帯魚]]」は最後の「突風」が一番どきどきした。3編ともなにか共通点があると感じた。とてもナイーブなところをつかまえている。これについてもっと考えたい。「サラサーテの盤」も読んでみた。贅肉の取れた文章というのだろうか。三島由紀夫が解説で、それもべた褒めなので驚いた。●「突風」。映画化してください[[●>http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Screen/3097/picked_new.htm]](11日の所)。 ***2003-06-19 '''デジタル技術を中心に置いた、きわめて珍しい非宗教的宗教、反物語的共同体が誕生することになるのだから'''[[●>http://www.realtokyo.co.jp/japanese/column/f_column.htm]]。●宮島さんの新しいインタラクティブアート?。なにやら時間のかかった大がかりな感じだがとても楽しそう。きっと自分もそして身近なところで絶対に購入する人にはお目にかかれないだろうが・・。●これは50万円という価格よりも、それを十分に楽しむコストのほうが大きそうだ、そんな貧乏性の僕には向かないが、せめてそこから派生した出来事くらいは追ってみたい。僕の消費って、こんなリーズナブルさだけでいいのだろうか。 ***2003-06-18 &image(http://ec2.images-amazon.com/images/I/51B35K9CF5L._SL500_AA240_.jpg,width=100) 吉田修一の「[[熱帯魚]]」を読み始めてまもなく、「羅生門」のコトが取り上げられていて、それがどうも気になったので、そっちを取りあえず読む。と言うのも、下人が老婆を引剥したのは「淋しくって仕方がなかったから」・・が気になった。そう思って読んでみれば、確かに下人は励まされたのかもしれない。絶望の淵に追いやられ、そこから抜け出す術に彷徨という下人の孤独は、結果的に老婆によって励まされたのだ。寸前に抱いていた老婆への強い憎悪は、孤独の裏返しであり、屈託のないその言葉へ、迷いと孤独とが同時に方向を変えたのも、同様の孤独さからくるものであって、実際には力の作用はかわっていないのではないか。 ***2003-06-17 引き続き九鬼周造の引用。●情緒の系図●日本の精神生活が「寂び」や「侘び」を尊重するのは、「寂しさ」や「侘びしさ」の欠如生そのものを楽しむまでに訓練されてるためである。●風流に関する一考察●間隔の量的関係はまたおのずから対象の性質を規程するから、そこに対象の色合いが出てくるのも必然である。(量から質へ)●「映画を見る眼」何度も録画失敗!、なんとか第2回を今日見られた。面白い。有り難い。録画悔しい。 ***2003-06-16 &image(http://ecx.images-amazon.com/images/I/51WNVRFDWHL._SL500_AA240_.jpg,width=100) 九鬼周造●「いきの構造」によると、「いき」とは鋭い緊張関係のことを言い、反対語の「野暮」とは緊張感を喪失し定位置に安心しきった姿勢であると言う。これは大和民族の特殊な存在様態の顕著な自己表明の一つであると考えて差支えないと言い、西洋文化と違った一民族の核心的な意味を言語化したものとしている。●「いき」な色とは派手な色ではなく、灰色、褐色、青色の三系統のいずれかが属するものと考えている。●「いき」な縞模様はヨコシマではなくタテシマだそう。●確かに緊張感はタテのほうがある。灰色、褐色、青色・・このサイトに使っている色ではないか?。そう!ここは「いき」を目指していたのである・・。緊張感ありますかぁ・・。 ***2003-06-15 &image(http://www.shinchosha.co.jp/_shincho/200306/cover_s.gif,width=100) 我が家のトトロ●何週間も途中でほうりだしたまま、なんとか読み終えた。まだ2つ目の舞城作品だが、阿修羅ガールとはまた違った側面をっもった小説だ。●トトロという架空の存在と、それを成立させてしまう家族の心境を読む主人公の洞察と、彼自身がトトロを必要としているかもしれないという自己分析と、友人の求める自己実現欲にもトトロを求める気持ちをかさねるあたりと、すべて人生に対する作者のアフォリズム的な態度が見え隠れしていそうな所と、今の時代に小説を書こうとする態度と、そういったものが何となく混ざり合っていると感じながら読んでしまう自分と、素直に作品に接しないのはこのように同時代的な感情が無意識に出てくるからなのか、むしろそんな態度こそ純粋に小説というメディアへ接していることの証なのではないかという思いと、とにかく作者を取り巻く様々な言説がノイズとなって作品自体をも取り巻き、今月の文芸誌にも3つくらい新作が載るくらいに注目され、また早作なのも、まだ2つしか読んでいなかったことを必要以上に反省させられるのも、まったくもって脅迫観念以上のなにものでのない。 ***2003-06-14 気分的にも余裕が出来たので、久しぶりに色々とまわった。●まずはオープンしたプラダを見に表参道へ。例の地下通路から入り、プラダスポーツへ。薄黄色い塗装だけのインテリアは、簡素だ。それは建築家のつくる空間としては、真っ当なアプローチで、菱形の構造も素直につたわる。けれどショップとしての華やかさには欠け、実際に商品の陳列はかなりかみ合っていないという印象を受けた。建物の遊び心以上に、プラダの商品を面白くディスプレイしてくれるのかと期待していたのだが。あれでは肩すかしもいいところ。きっと早急に見直しがかかることだろう(!?)。●アンデルセンでサンドイッチを食べ、パンを買う。そのままNADiffへと向かう。東急文化村の方にしか行ったことはなかったのだが、「マーケット・トレーニング・システム」という「4G44DG」なる3人のクリエーターによる展示を見る目的もあった。展示は、まったく予想外に簡素で、またしても肩すかし。せめて先週きていれば、森美術館キュレーターによるギャラリートークが聞けたのに・・。それでも「本屋版セレクトショップ」なる「ナディッフ」のラインナップには興味津々で、「easyt reveier」というインディーズ雑誌と、飯島洋一の新書を購入。親書などはどこでも買えるのだが、セレクトショップの強みは、そんな気にさせる「並び」にある。括りが好ましいと、同じ本でもより魅力的に見えるものだし。●そこから同潤会アパートの仮囲いアートを見物し、乃木坂のギャラ間へ。妹島+西沢のSANAA展。取り立ててどうのと言った感想も持てず、1階の衛生陶器CERAショールームをむしろ興味深くチェックした。 ***2003-06-12 「10宅論」は思ったより面白かった。●バルトだけでなく、オーギュスタン・ベルクについても再考したい。しかも解説で山口昌男氏がびしっと学術的な言い方でフォローしているし。なかなか良くできている文庫・・。ベルグの本が見当たらない。確かに昔読んだはず。棚から「いき」の構造を見つける。そういえば数年前に買ったまま読んでいなかった。これも関連ありそうなテーマなので手に取る。それにしてもこのような比較文化論的書物は、大胆な解釈がなければ面白みもない。上記のものや、「風土」なんかも、大胆だから面白い。得てしてそのような思い切りは批判の対象にもなる。大抵は緻密な根拠のようなものの不在を指摘されるのだけれど。僕はそんな専門家魂のようなものはないので、単に面白ければよいのだ。●ところで、こうしたネットでの活動を現実(ネットも当然現実なのだが、ここではそう呼んでみる。)生活とどう結び付けていくか。そんな命題を以前は持っていたようにも思う。けれど今はそのような考えはあまりない。それは既に現実となって結びついているからだとも思うが、どこかで分けて考えるようにもなっているのだろうか。例えば仕事場でネットの話題をすることはまずない。これらの活動もほとんど知られていない。かといって隠しているわけでもなく、単に興味を持ちそうにないことを、どこかで感じているのだ。映画の趣味を押し付けることが不毛なように、ネットでの活動というのも、説明するきっかけや動機を持たない。あるとすれば、ネット上で知られて、それが実は僕だった。そんなほとんどあり得ないだろう流れでないと説明してもきっと不毛だ。●このような態度から自然とネット活動は現実生活と微妙に乖離していく傾向を持つ。そこに生まれる自意識とは?。ネット上で読まれることを前提に日常を報告した文字列を生産していく中で生まれてくる自己言及意識とは?。 ***2003-06-11 久々に過去のノートをwiki化した。あと幾つあるだろうか。今回は4年前のが多かった。読んでいて恥ずかしいものばかり。それはいまもそうなので、あまり気にしても・・。[[雑誌レビュー>雑誌レビュー。(偏向的)]]とかやっていた。けれどずいぶん中途半端な状態だった。いまあれらの雑誌はどうか。広告もあのころは楽しかった。いまは全くみていない。まだ広告批評の方が勢いあるかも。リラックスはあの頃よりもアイドル写真集っぽくなってきたように思う。けど巻末のごちゃっとした雰囲気は好きだ。PPPも同様に見える。結局グラビア的な作りになっていくこれらの雑誌に、何だか物足りなさを覚える。売れなきゃしょうがないんだけど。異色で、おお!っとうなずける雑誌。最近みないかも。 ***2003-06-10 &image(http://www.chikumashobo.co.jp/photo/book/large/9784480023827.jpg,width=100) 隈研吾さんの「10宅論」を読んでいたら、あれっ読んだかも知れない。みたいな。ああきっと2度買ってしまったのだろう。それでもなかなか楽しめそうなので、記憶が曖昧なまま読み進む。これを読んで再びバルトの「表徴の帝国」について考えられそうかもしれないし。隈さんは哲学を引用して建築を語るその上の世代を批判的に扱いながら登場し、その下の世代はさらにそんな隈さんの姿勢を批判的に扱って、しかしどうやら明解さだけでキャッチしすぎて浅い気分的なお話が多いのも現状で、そんななかで依然として哲学をまといながらの言及は、随分と閉鎖的にもみえて、建築を語るのは多様に難しい。 ***2003-06-08 アルゼンチン戦を見た。●2-0の時はなんとか0点は避けてくれ!と思いつつ、3点、4点ときたひにはジーコを責めたくもなるのだった。気になったのは、解説が終始中田英べた褒めだったこと。攻め込まれようが、攻めようが、常に彼を称賛した解説ばかり。そんなにこの選手はすごいのか。他には誉めるべき人がいなさすぎなのか。とにかく未だに彼を超える評判が持てないところに大きな限界を感じてもしまうのだった。●ところでキアヌ・リーブスが表紙のAERA6.16号には、「沈没日本」憂うナヨナリズムという記事があって、ぷちナショなのりで書かれていた。「SAPIO」が学生の研究で引用されることが増えたとか、かわぐちかいじの「ジパング」の売れ行きが600万部超えたとか、小熊英二氏のコメントもあり。「表現回路の貧困を憂う」と題したそれは、先日読んだぷちナショ続編での福田氏のコメントにも近い。 第11回フランス映画祭横浜●うわぁ忘れてた。もうチケット取れないかも・・。ティーチインが熱いのです。この映画祭。[[映画を見る眼~映像の文体を考える>http://www.nhk.or.jp/ningenkoza/200306/mon.html]]。「泥の河」は良い映画だったぞ。●携帯とメガネを新しくした。そう、両方とも無くしました。ああ無情・・。●と言うわけで、今回はTu-kaに決定。これでPHS2社(すでに忘れました)→au→ドコモ→J-PHONE→Tu-kaと、ほぼ全メーカーを横断。それも数年で。今回は正直auにするつもりだったが、かっこいい機種がなかったのでシンプルなTu-kaに決めた。●こうして携帯を変えるのはとても気分転換にもよいのだが、その原因がなんとも・・。メガネをなくしたのははじめてで・・いや、以前もタクシーの中へ置いていき、そのときは取りに行った。今回はもうどこでなくしたのかも不明なので、すぐに買いに来た。2年ぶりくらいに新調。●まあこれも気分転換だ。それにしても両者まとめて購入し、カフェで小1時間お茶していたらもう出来上がりだ。便利な世の中である。僕はどちらにもあまり執着はなく、ないと不便だなくらいで、常に必要と言うわけでもないが、あえて持たないという意固地でもなく、この際カメラ付きという小さなときめきもありつつ、実際にはゴテゴテしい形態へ拒絶反応を起こすし、比較的新しいものにはかっこいいものも無くはないが、2万円も払って手にするのもばからしいし、そもそも執着ないのだから。●メガネだって打ち合わせの時に書類がみえないから仕方なくかけるのであって、普段の作業では必要ないし、知り合いにすれ違っても気づかないという不義理をやや痛ましく(それも寸前で気づいた場合のみ)思うけれども、かけっぱなしはいやだし、シンドイし。未だに視力がよかった頃の意識を捨てきれず、そもそも最初に購入したコンタクトが合わなかったからいけなかったのだと思ってみたりもする。 ***2003-06-07 またしても二日酔い。そしてとんでもない心配をみなさまに・・。ああ、これは書くのもつらい。体力的にも精神的にも回復しないと、とても書けない内容だ・・。●新建築に掲載されていた六鹿さんのエッセイ●なぜ六本木ヒルズは成功しつつあるのか●リーダー自身のコミットメント●都市こそ素晴らしいというメッセージ●文化こそが経済の上位にあるというメタファー●されどプロジェクトX●そしてみんな招く ***2003-06-04 音楽ホール1階段床勾配の躯体が打ち上がった。急に平面の全貌が見えてきて、その大きさにちょっとひるんだ。この先2階席の張り出しを見たらもっとひるむのだろうか。上部の鉄骨が組上がったら・・。しかし膨大な施工図に一番ひるんでしまうのだった・・。●クリニックの合同定例にはじめて参加。現場事務所が駅から意外と離れていたし、こちらの勘違いで30分も遅刻してしまった。予算とやりたいことの調整がまだとれていなく、とても現場乗り込みという気分ではないが、今後毎週打ち合わせしましょうというコトになった。現場が増えてきた。●コンペ大詰め。手分けしてプレゼに取りかかる。ポーチの演出を忘れていた。10時頃から取りかかる。終電前にはスケッチ2案完成。明日でラスト。材料の手配もれがあるかも。その時はイメージで当て込もう。●週末の軽井沢現場見学が伸びた。小さな現場なのに随分と時間掛けている。さぞかし出来がいいのだろうと、担当でないことをいいことに、今から楽しみだ。●プロポーザルがあるっぽい。取りあえずいまはそこまで気がまわりませぬ・・。●週明け図渡しの改修工事。すっかりお任せしてるんだけど、現場管理も彼やらないかな。まあ同じ所で違う現場やってるんだけど。 ***2003-06-03 うわー今週は徹夜かなぁ。きっと徹夜だろうなぁ。もう若くないからなぁ。大丈夫かなぁ。体力つけるにも、体力つけるための体力がないんだよなぁ。まずは体力づくりのための体力づくりの基礎体力づくりから初めて・・・。 ***2003-06-01 &image(http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/SW/prada_aoym/img/prada_aoym_0306_1.jpg,width=100) 所用で南青山へ行った。プラダ。オープン直前を見る。外観にも驚いたが、足元があんなになっていたなんて!。コレッツィオーネで買い物をし、渋谷まで歩き、買い物をし、六本木へ。オープン後初めてのヒルズ。観光地として賑わっていて、大きいせいか、そんなでもない、いや、でもこんな光景を見るのもなかなかないかも。佐藤可士和がクリエイティブディレクターをしたというTUTAYAへ。スタバと一体になった本屋。コーヒー片手に本屋をぶらり。好きなだけ本を持って、イスでのんびりと。日本でもこういった店が普通に使われるようになると面白いのだけれど。まだ観光地なので、リアルではない。新宿の青山ブックセンターでもスタバとコラボしていたが、こちらのほうが本格的だ。基本的に並ばないとお茶出来ないので、足が棒になる。けれど街区中に座れる場所もある。イヌ自慢の方も多く、セレブ、観光客、どちらも装っていて疲れる街だ。「東京ランダムウォーク」に立ち寄り、そして集まりへと向かった。今日初めて会う方を楽しみにしていたのだけど、来られなく残念。しかし、ご無沙汰という時間を感じさせないメンバー。今後も進展を期待したい会なのであった。

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