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**ミツバチのささやき [#habdcdac] #amazon(B00005HARN) -監督:ビクトル・エリセ -脚本:アンヘル・フェルナンデス & ビクトル・エリセ -出演:アナ・トレント イサベル・テリェリアフェルナンド・フェルナン・ゴメス テレサ・ギンペラ ---- スペインの監督、ビクトル・エリセの長編第1作。 幼くて、まだ空想と現実の区別が付かない少女の世界。 繊細で神秘的な映像美で描かれたもの。その評価はとても高く、映画関連の本でも、よく名前は聞いていた作品です。確かに映像の綺麗な作品です。 評論家、蓮實重彦氏によると、1950年代は映画が崩壊の兆しを見せ始めた時代であると言っています。そして1973年は映画の崩壊を当然のこととして受け止めていた人たちの中から、なお、映画を作ろうとする意志を自分に課した人たちが世界の各地に現れてきた時代だと言っています。 73年という年は、この映画が出来た年です。蓮實さんは、ビクトル・エリセのミツバチのささやきを、まさに73年という表現の、象徴的な存在としていました。他には、ヴェンダース、ダニエル・シュミット、テオ・アンゲルプーロスなどの名前もあげています。それほどに、この映画を一つの歴史上の重要な位置づけとしていることへ、また映画の奥深さを感じずにはいられません。 まだ多くの作品を見ている訳ではないので、けっして相対的な評価も何も出てきませんが、水平線のはっきりと見える草原へ古びた小屋が佇み、そのアングルなかで、二人の少女がわずかに動くシーンが数分間静かに続くこの映画へ、物語を求めようとは思いませんでした。その陰影の深さが、ストーリー説明的な肉付けを最小限に押さえられた結果出てくるものなんだとも、見るほどに思えて来るものです。 ---- 「映画の基本的な問題を自分が見た、あるいは自分に対して養分を送り届けてくれたハリウッド映画に対して、自分が何を負っておりいかなる感謝の念を表現すべきかの自覚がはっきり出ている優れて倫理的な映画であります。」(映画はいかにして死ぬか:蓮實重彦著;フィルムアート社)2001.01.06k.m ---- カテゴリー-[[映画]]
**ミツバチのささやき #amazon(B00005HARN) -監督:ビクトル・エリセ -脚本:アンヘル・フェルナンデス & ビクトル・エリセ -出演:アナ・トレント イサベル・テリェリアフェルナンド・フェルナン・ゴメス テレサ・ギンペラ ---- スペインの監督、ビクトル・エリセの長編第1作。 繊細で神秘的な映像美で描かれた、幼くてまだ空想と現実の区別が付かない少女の世界。 その評価はとても高く、映画関連の本でもよく名前は聞いていた作品。 評論家・蓮實重彦によると、1950年代は映画が崩壊の兆しを見せ始めた時代であった。そして1973年は映画の崩壊を当然のこととして受け止めていた中から、なお映画を作ろうとする意志を自分へ課した人たちが、世界の各地へ現れてきた時代。 73年という年は、この映画が出来た年だ。蓮實さんは『ミツバチのささやき』を、まさに73年という表現の、象徴的な存在としていた。ほかには、ヴェンダース、ダニエル・シュミット、テオ・アンゲロプロスなどの。この作品を映画史上の重要な位置づけとしていることへ、奥深さを感じた。 多くの作品を見ている訳ではないので、けっして相対的な評価は出来ないけれど、水平線のはっきりと見える草原へ古びた小屋が佇み、そのアングルなかで二人の少女がわずかに動くシーンが数分間続く場面。このような陰影の深さは、ストーリー説明的な肉付けを最小限に押さえられた結果出てくるものなんだと思えて来た。2001.01.06k.m ---- &italic(){「映画の基本的な問題を自分が見た、あるいは自分に対して養分を送り届けてくれたハリウッド映画に対して、自分が何を負っておりいかなる感謝の念を表現すべきかの自覚がはっきり出ている優れて倫理的な映画であります。」(映画はいかにして死ぬか:蓮實重彦著;フィルムアート社)} ---- カテゴリー-[[映画]]

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