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-マクベス
-新潮文庫
-[[シェイクスピア]]
-福田恒存訳
-新潮社
-362円
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シェイクスピアの四大悲劇のうちのひとつ。武将マクベスは三人の魔女の予言を聞き、王ダンカンを殺し、自らが王となる。しかし、マクベスを叱咤したマクベス夫人は気が狂い死ぬ。そして、マクベスもマクダフらの軍隊によって殺される。
悲劇、悲劇、、、。シェイクスピアのこの戯曲には、はたしてどんな「悲劇」が描かれていたのだろうか。マクベスは魔女の予言を聞いたばかりに後戻りできない悲劇の「サイクル」に足を踏み入れた。このことは彼の野心の性質に問題が合ったのではないだろうか。下克上の世の中において、キッカケすら得ればそのような策略すら不思議ではないのか。劇として見るとどうなのか分からないが、この惨劇には夫人が大きく加担している。マクベスの野心は捕らえようによっては夫人の野心を「代弁」してしまったようにも思える。そして一度口に出してしまったら最後、実行へ移すべく夫人の激励は王の貫禄をも越え、その時点で何故かに突き動かされる権力の魅惑とでも言うのか、とどまらない破滅の序曲がはじまる。
この物語は、いきなり本題へ突入する変わりに、その結末が見えていることなどもろともしない爆進に支えられている。オチを先にほのめかしておきながら、それでいて描写自体に随時響きわたる振動が、読んでいて快楽へと変化していくほどにナチュラルハイなテンションへ導いていく力強さ。
この様に演劇を読むという行為は、イマジネーションの展開が常に「会話」に支えられているという構造に特徴があるのだろう。文脈の細部を、会話から察知する、いやさせられることは、常に「場面の展開」に支えられている映画のそれとはいたって差異が大きい。もちろん演劇的な映画も多いだろうし、分けきれるモノでもない。けれどこの差異に注目し、考察していくことはとても興味深い。 そしてさらに、生の「身体感覚」と「場」の持つ空気感が参入する実際の演劇空間とは、まさに別世界なのだろうか2002.02.26k.m
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カテゴリー
-[[小説]]