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-[[幻冬舎文庫]]
-[[島村洋子]]
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様々な登場人物達の視点が一人称で語られ、複数の目で読み進められる。事件の終盤への4日間に絞って全貌を徐々に見せていく。そんな明快な物語構造がまるで映画のシナリオのようにシークエンスをつくっている。
家族がめちゃくちゃ、というニュアンスで、三池監督の「ビジターQ」を思い出しつつも、あの映画ほど破天荒な主題は無く、描かれていたのは以外と普遍的な恋愛の姿ではないか。
十七歳の女子高校生キリエという、不幸の連続のなかでうごめく主人公。消えた家族を心の中で追い求めて全裸で立てこもる、差し押さえの自宅(これ、かなり説明不足です)。
はたして家族というものが、このように現代小説の主題たりえる存在感を持ち得るのだろうか。殺伐とした空気の和則の一家。失踪、教祖、一気のみ死というワイドショーネタの寄せ集めようなキリエの一家。極端に脚色され、それでいて「ありそうな」話でもある、そんなフィクション的存在の家族を、いったいそれ以上に向かわせるテーマになるのだろうか。むしろ空しさを先読みしてしまうのであった・・。
たとえば主人公・キリエと隣の大学生・和則の家族は対称的であるように見える。しかし実際の内部的視点によれば、それぞれの崩壊ぶりを、かなり深刻なレベルとして語っている。むしろ違いと言えば、属している個人達による崩壊の受け止め方のほうである。崩壊を自明なこととしてとらえ、諦めの姿勢すら見いだせるキリエ。崩壊を事後的な悪としてとらえ、もはや見向きすら避け、意識の奥へとしまい込んでいる和則。キリエは諦めのなかに和解を見つけ、家族への信頼という幻想のなかに生きている。和則は奥へとしまい込んだ悪の目が、家族全員に憎しみとして向かい、当然のようにその反発した空気は家庭を緊張感で満たしていた。
そこへ恋愛という「かたち」をとって、キリエの幻想を失われた自分への「何か」として魅了されていくのが和則である。彼女の中に生きていくための「強度」のようなものを見出し、現代の乾いた空気感を意匠に取りながらも、作者の普遍的な愛にたいする「希望」のようなものが家族を通して描かれている。
愛へと収束されていく結論よりも、複数の視点である登場人物達の「内部」を、あたかもワイドショーを見ているかのような、パロディー感すらともないながら、読み進んでいる自分にやや恐ろしさを感じつつも、キリエのような「無垢さ」をまたしても羨ましく思ってしまうのであった。2002.07.07k.m
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カテゴリー-[[小説]]