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TOUS LES GARÇONS ET LES FILLES

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mingus

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TOUS LES GARÇONS ET LES FILLES (1962)


レーベル / カタログ・ナンバー / リリース年 LP: Vogue / LD 600-30 (MONO) / 1962
CD: BMG France / 74321744332 (STEREO) / 2000
FACE 1 FACE 2
1. Tous les garçons et les filles
(Hardy - Samyn)
7. On se plaît
(Hardy - Samyn)
2. Ça a raté
(Hardy - Samyn)
8. Ton meilleur ami
(Hardy - Samyn)
3. La Fille avec toi
(Hardy - Samyn)
9. J'ai jeté mon cœur
(Hardy - Samyn)
4. Oh oh chéri
(Jil et Jan - Trammell)
10. Il est parti un jour
(Hardy - Samyn)
5. Le Temps de l'amour
(Salvet - Morisse - Dutronc)
11. J'suis d’accord
(Hardy - Samyn)
6. Il est tout pour moi
(Hardy - Samyn)
12. C'est à l'amour auquel je pense
(Hardy - Samyn)
Accompagnée par Roger Samyn et son orchestre


1962年12月 (10月説もありますが、データ不足のためいまいちはっきりしません) リリースのファースト・アルバム。と言っても、シングル盤重視の当時ではごく当たり前のことでしたが、『アルバム』という語が示すとおり、実は、この作品もそれまでに (もしくは同時に) リリースされた3枚の4曲入りEPを単に寄せ集めたものに過ぎません。しかしながら、1枚のアルバムとして見た場合、全12曲中、自作曲が10曲も収録されているという点で、アイドルとして売り出されたポップ・シンガーのファーストとしては、実に異例のことでした。

これら自作曲は、本アルバム収録曲のアレンジを担当したフランダース系ベルギー人アレンジャー、ロヘール・サメイン(フランス語読みでは、ロジェ・サマン) (Roger Samyn) との共作としてクレジットされていますが、実質的にはアルディ単独による作詞・作曲。当時、フランスの著作権協会 SACEM に楽曲を登録するには、作者がソルフェージュの試験に合格していなければならないという規定があり、未だその試験を受けていなかったアルディは単独での著作権登録が出来なかったそうです。ちなみに、この手の不条理は、音楽学校 Petit Conservatoir de la Chanson 時代のアルディのクラスメート、セシール・コリエ (Cécile Caulier) が作詞・作曲した « Mon amie la rose » にも当てはまります。

残る2曲のうち4曲目 « Oh oh chéri » は、アメリカのロカビリー・シンガー、ボビー・リー・トランメル (Bobby Lee Trammell) (1997年にアーカンソー州下院議員に選出)による1958年の自作シングルB面曲 « Uh Oh » のカバー。これは、ヴォーグ・レコードのA&Rマン、ジャック・ウォルソン (Jacques Wolfsohn) が彼女のデビュー曲としてプッシュしたもので、フランス語詞はジョニー・アリデイ (Johnny Hallyday) のライター・コンビ、ジル&ジャン (Jil & Jan) が務めています。

5曲目の « Le Temps de l'amour » は、元々、後にアルディの夫となるジャック・デュトロン (Jacques Dutronc) が、彼の友人であり、ギター・インスト・グループ、ファントーム (Les Fantômes) のリード・ギターを担当していたイギリス人、ディーン・ノートン (Dean Noton) と共に作曲、ファントームが同年 « Fort Chabrol » というタイトルでデビューEPの中の1曲としてリリースしたもの。歌詞付きのバージョンは、男性ポップ・シンガー、ジョゼ・サルシー (José Salcy) によるリリースが最初。この時、歌詞に倣ってタイトルが « Le Temps de l'amour » と改められました。歌詞は、シャンソン時代から作詞家・訳詞家として著名なアンドレ・サルヴェ (André Salvet) とラジオ局 Europe N° 1 の音楽ディレクターが本職で、当時はヴェリエテ界に絶大な影響力を誇り、またダリダ (Dalida) の夫でもあったルシアン・モリス (Lucien Morisse) (ミシェル・ポルナレフ (Michel Polnareff) のレコード・デビューのきっかけを作った人物としてもよく知られています)によって書かれました。しかし、その際、どういう訳か、オリジナル共作者のひとりであるはずのディーン・ノートンのクレジットが外され、Salvet - Morisse - Dutronc という3人のみのクレジット表記がアルディ版にも引き継がれています。

同年10月30日、大統領選出に向けた直接普通選挙制導入の是非を問う国民投票の投票結果を速報するTV番組が放送され、アルディは報道のインターバルに設けられた歌のコーナーに出演。本アルバムのタイトル・トラックで、デビューEPとして既に6月にリリースされていた « Tous les garçons et les filles » を歌いました(ただし、リップ・シンク~口パクでしたが……)。午前2時、わずか10分間の出演でしたが、100万人が注目するTV番組での出演が奏効し、その後、同曲を収録したEPはリリースから数ヶ月遅れで大ヒット、本アルバムも翌年63年初頭までに50万枚のセールスを記録したとのことです。




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