箱庭外交戦略 ギリシャ=トラキア二重帝国


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ギリシャ=トラキア二重帝国旗

[国名]
ギリシャ=トラキア二重帝国
Η διπλή αυτοκρατορία της Ελλάδας και της Θράκης
The double empire of Greece and Thrace
[正式国名]
帝国議会に代表される帝国諸州および神聖なるトラキアの聖トルメキア王冠の連合としてのローマ帝国
Η ΡωμαϊκήΒασιλείαως συνδυασμός κράτους αυτοκρατοριών που είναι στην εθνική συνέλευση αυτοκρατοριών και την κορώνα ιερής Θορμεκηα της ιερής Θράκης
The Roman Empire as a combination of Empire state which are represeted in the empire national assembly and the Sainty crown of Tormekia of holy Thrace
[元首]
皇帝アレクシオス7世ヘクトル=ドラガセス
ΒασιλευςΑλέχιος Ζ' Εκτωρ Δραγάσης
“地上に於ける神の代理人” “第13使徒”
[政治体制]
東方風専制君主政を基礎とした近代的体制
[標語]
Να είστε με Ίντεν οποτεδήποτε.
常にエデンの傍にあれ(ギリシャ語)
[公用語]
ギリシャ語
[宗教]
キリスト教(東方正教が多数)、その他

[概要]
 ローマ帝国を現代につなぐ国家。ギリシャ皇帝がトラキア王を兼ねるという二重元首政。現在のギリシャ皇帝は第139代ローマ皇帝アレクシオス7世ヘクトル=ドラガセス帝。帝国は、東半分のギリシャ帝国と西半分のトラキア王国の不可分の2要素からなる。欧州とアジアにまたがって位置し、欧州にもアジアにも交わらないが、それぞれの要素を併せ持つ独自のギリシャ世界を形成する。
 
ローマ帝政開始以来からつづく歴代皇帝が玉座に就いている。395年のローマ帝国分割、476年西ローマ帝国滅亡でローマ帝国の主流派がコンスタンティノープルの東ローマ帝国に遷ってより1500年余。1000年あまりをかけて「ギリシャ化されたローマ帝国」すなわち"Greek Romania"へと帝国は変身を遂げたが、帝国市民は自らを「ギリシャ人」「トラキア人」と考えるよりも、「(ローマ)市民」としての誇りを持っている。公用語は7世紀前半のヘラクレイオス帝の時代からギリシャ語である。主要な宗教はキリスト教。キリスト教総本山コンスタンティノープル総主教庁を中心とした信仰が行われている。歴代皇帝一覧

[政治]
政治体制は二重元首政。ローマ皇帝の称号を持つギリシャ帝国皇帝がトラキア王国国王を兼ねる。また、最近ではギリシャ皇帝はコンスタンティノープル総主教をも兼ねる。ギリシャ皇帝は、他の誰からも冠を受けない唯一の皇帝“オリジナル・エンペラー”である(カール大帝やオットー大帝やナポレオンはいずれもローマ教皇から冠を受けた)。なお、ギリシャ世界においては皇帝は一人であり、帝国内のその他の“皇帝”は皆僭称皇帝と認識される。

【外交】
ギリシャ=トラキア二重帝国は、地理的にも欧州とアジアの連絡地点に位置し、東西いずれにもかかわりを持っている。帝国は欧州外交・東方外交の多方面外交を展開し、欧州と東方の架け橋になることを目標に外交を推進している。
また欧州に関しては、西欧・地中海・希臘・東方を合わせた「拡大欧州」を欧州とする認識を示している。これは帝国が欧州アジアにまたがる国家であり、また歴史的に現カルタゴ国のアフリカ北岸や、小アジア、現アラビア領のシリア・メソポタミア等の旧希臘領は欧州と認識されるべきであるためである。帝国の欧州先導主義の見方は、帝国の位置が欧州と東方の狭間に位置する“希臘”にあるため、欧州外交の一環として重視してはいるがこれを絶対的なものとせず、東西両方面外交の中で柔軟に運用していく方針である。しかし欧州の結束不戦と東方の一致協力はそれぞれ達成されるべき国家の最重要課題との認識でいる。
さらに、二重帝国は西欧と東方のいずれにも友好国を持つため、東地中海での中継貿易の利を多大に上げているのが特徴。

【内政】
ギリシャ帝国の政治体制
帝国のギリシャ以東に領域を持つギリシャ帝国では、皇帝の顧問としての帝国内大臣(現職エパミノンダス卿)、そして内大臣隷下の帝国七省:治部省(外交庁・内政庁)・民部省(福利厚生)・兵部省(陸軍庁・海軍庁・航空庁)・大蔵省(財政)・刑部省(裁判・法務)・中務省(世論調査)・帝室省(帝室管理・祭祀)が存在している(各省の大臣が伝統的に言うところの執政官にあたる)。なお民選議院は二つ設置されており、そのうち特権階級を代表するものが帝国参議、一等・二等市民を代表するのが帝国市民院である(帝国参議が伝統的にいうところの元老院にあたる)。それぞれがギリシャ帝国内の法案について審議し、特権階級・市民それぞれの意見として決議を下し、参考意見を皇帝に奏上する。

トラキア王国の政治体制
帝国のブルガリア以西のトラキア王国では、トラキア王は形式的な存在であり、実質の政務はトラキア王国摂政(現職クレオン皇兄陛下)が執り行っている。摂政の下には六省:内務省(内政一般)・民部相(福利厚生)・国防相(軍事)・財務省(財政)・法務省(法務)・公報省(宣伝・民事)が設置されている。民選議院は王国貴族院および王国市民院。前者が特権階級の意見を反映し、後者が一等二等市民の意見を反映する。

自由都市地域の政治体制
自由都市とは、ほぼ完全な直接民主主義が完成されている都市のことである。現在は、アテネ・スパルタ・コリント・テーベ・テッサロニケ・ミレトスなどに代表されるエーゲ海周辺と、エーゲ海西岸内陸部の諸都市が自由都市地域となっている。これは古代ギリシャの諸ポリスの直接民主制の伝統を尊重した制度となっている。自由都市は自治を布いており、都市内部の問題は自由都市自治政府の単独の対応によって処理される。

二重帝国としての政治体制
二重帝国としての政治体系は、皇帝直属の共通三役:共通治部卿・共通大蔵卿・共通兵部卿が二重帝国の観点から皇帝を補佐し助言を加えていく形をとる。また二重帝国としての政策決定としては、皇帝・共通三役・ギリシャ帝国内大臣・トラキア王国摂政の6名が参加する共通閣議にて決定される。なお、共通議会がコンスタンティノープル・ソフィアの二箇所で開廷され、共通参議(帝国参議・王国貴族院からの選抜議員からなる)・共通市民院(帝国市民院・王国市民院からの選抜議員からなる)が、それぞれ特権階級・市民の代表として二重帝国としての法案や政策に対する意見を表明する。

二重帝国の政治方針の特徴~社会福祉政策~
ギリシャ・トラキアの両政府は同一指針の政治方針を行うことを原則としている。
もっとも大きな特徴は、巨大福祉国家であるという点である。無産市民を多く抱える二重帝国は、“パンと見世物”を主要都市に常時設置している。無産市民のための共同作業場の設置とそれの報酬としてのパン配給、職業戦士による獅子・虎との決闘や大衆演劇が行われるコロッセウムなどが具体例となる。また、キリスト教会による孤児院や老人会、診療所なども各地に散見される。これらの福祉施設は市民権を有せばすべて無料で使用できる。

[文化]
 ギリシャ=トラキア二重帝国は、古代の面影を残した“ローマ帝国”の伝統文化を現代に残し、“ビザンツ帝国”の血を引く古代中世ギリシャ文化を基調とし東方とヨーロッパ、東地中海文化の融合のした独自の複合ヘレニズム・ビザンツ文化を形成している。文化の中心都市はコンスタンティノープル、アテネ・テーベ・コリント・オリンポスなどの自由都市地域、ペルガモン、アンティオキアなど。文化はキリスト教と強く結びつく傾向にある。また、非常に古典趣味である。民族自決の概念などというものは存在せず、全市民は民族としてではなく文化・宗教・伝統の基盤において結合している。
[宗教]
 帝国市民の信仰する宗教はキリスト教(東方正教)である。帝都コンスタンティノープルは、西暦330年のコンスタンティヌス大帝のコンスタンティノープル遷都以来、教皇兼皇帝であるローマ皇帝(ビザンツ皇帝・ギリシャ皇帝
)が座し、キリスト教の五大総本山(コンスタンティノープル・アンティオキア・アレキサンドリア・ローマ・エルサレム)のうち最高峰の信仰を集める。
 帝国はキリスト教と強く結びついており、元首である皇帝は、13番目の使徒で、キリスト教徒の首長であるとの理念である“皇帝教皇主義”を採用している。皇帝は“地上に於ける神の代理人”のあだ名を持つ。
 また、帝国内で通用する暦も“世界創造紀元”である。これは天地創造の時点(西暦紀元前5509年)を紀元とする暦法。今年(2007年)は世界創造紀元7516年。
※非キリスト教の市民
 なかにはキリスト教を信仰しない市民も存在する。ローマ市民権は宗教の別を考慮せず与えられる為である。このような市民はミトラ教やギリシャ多神教、マニ教、拝火教などの東方系の宗教を信仰している。
[領民]
 領民は一般的に以下のように区分される。
・一等市民(権威を持つ市民)
①一等市民上層
貴族階級と呼ばれる、大所有階級。元老院議員を輩出する家は全てこの階層に入る。都市部に在住する一等市民上層は主に政治家・官僚・弁論家・法学者・高級将官など。地方に在住する一等市民上層は大土地所有の豪族。伝統的な富裕層。爵位付市民権を保有する者もある。
②一等市民下層
中産階級。ある程度の財産と、古くから市民権を持つ家柄。都市部では一般的な第三次産業を営むほか、官僚や軍人になるものもいる。中流階級だが、伝統的権威を持つ階級。
・二等市民(一般的な市民)
③二等市民上層
中産階級。ある程度の財産を持つが、一等市民権獲得権利がないか或いは申請していないかで二等市民に留まっているもの。一等市民権の獲得権がない主な理由は、解放奴隷である・親が市民権を持たない、一等市民権申請納入金が高すぎて割に合わない事など。中流階級だが、持つ権利が一等市民より少ない階級。
④二等市民下層
下層階級。無産市民か、または財産を持つが生活が厳しい階層。第二次産業や第一次産業に従事。しかしローマ法に保護され、さまざまな権利を持つ。
・非自由民(ローマ法に保証される権利を持たない)
⑤周辺民
ローマ法の保護を受けない者。ローマ市民権を持たない者。しかし最低限の人権は保障される。昔は“奴隷”の呼称で権利も著しく制限されていたが、昨今の寛容令によって少々ながら人権が与えられた。主に犯罪服役中の者や、戸籍未登録者、小作人。
・在留外人(メトイコイ)
市民権を持たない外国人で、国内に長期滞在をしているもの。参政権などの一部権利を除いて二等市民と同等の権利を持つ。
[ギリシャ世界]

 ギリシャ世界とは、旧大ギリシア帝国領のことを帝国の主観でそう呼ぶ。カルタゴ人の全自由民、現アラビア領シリア・メソポタミアに代々居住する自由民には“ローマ市民権”が与えられている。彼ら在外の市民は、帝国内の一般市民と同じ文化生活を行っているとされている。
[言語]
方言と現地語が多数存在するが、共通語はギリシャ語で、公の場では全てギリシャ語が使われる。なお、公文書はギリシャ語とラテン語で書かれる。
[名誉総督制度]
帝国は、ローマ帝国の制度を継承しているため、帝政ローマ時代の属州総督号が名誉号として存在し、高額納税者や帝国に多大な貢献をした市民に名誉として贈られる制度がある。これを名誉総督制度と言い、これを受けた市民は大変な名誉とする。さらに名誉総督号は“爵位付”であり、王位・大公爵・公爵・伯爵・副伯爵などが同時に贈られる。なお、最近は実質統治者に返還されている傾向があり、その際は爵位付市民権が同時に実質統治者に贈られている。名誉総督号は、現在帝国の支配下にない土地に関した総督号に限られ、現在の名誉総督は以下の通りとなる。
官職(位階)・・・名誉総督号と対応する爵位
ブリタニア総督(ブリタニア公)
ガリア=ベルギガ総督(トイトブルク副伯)
ガリア=ルグドネンシス総督(リヨン大公)
ガリア=アクィタニア総督(フランク王)
ガリア=ナルボネンシス総督(ブルグント伯)
イスパニア=タラコネンシス総督(西ゴート王)
イスパニア=バエティカ総督(ベティカ伯)
イスパニア=ルシタニア総督(リスボン副伯)
サルディニア総督(サルディニア大公)
ラエティア総督(ロンバルディア王)
ノリクム総督(ウィンドボナ伯)
パンノニア総督(パンノニア公)

ダキア総督(ダキア副伯)
シリア総督(シリア王)
メソポタミア総督(バビロン伯)
アラビア総督(アンマン伯)
エジプト総督(エジプト王)
キレナイカ総督(キレネ副伯)
カルタゴ総督(アフリカ大公)
ヌミディア総督(ヌミディア王)
マウレタニア総督(ヴァンダル伯)
[建築]
帝国内には、さまざまのビザンツ建築を用いた建造物が立ち並んでいる。概要は、ギリシャ風十字形式で、中央の堂に大円蓋(ドーム)をいただき、周囲に円蓋を架した小堂を附属させているのが特色。また、内部はモザイク壁画やフレスコ画、ミニアチュール、イコンなどの装飾が見られる。
代表的建築物は、コンスタンティノープルのセントソフィア大聖堂、ラヴェンナ地方のサンヴィターレ聖堂など。


セント・ソフィア大聖堂セント・エイレーネ聖堂

 

[代表的な民間企業]
商社     東インド商業,黒海物流産業
工業     スコピエ熱学工業,アレクセイ製作所
出版     勃牙利出版(大衆小説や復刻小説など),近代書籍(月刊近代や論評など)
海運     サラミス汽船(海運業者最大手、以前はマグリビア‐ニューヨーク航路で繁栄),キクラデス郵船
陸上交通  トルメキア鉄道旅客(鉄道業界最大手、欧州横断鉄道主宰),希臘急行(私鉄),自由都市高速交通営団(自由都市地域の地下鉄),ピジョンバス
食品     ソフィア乳業,トラミネール(ビール最大手),クノッソス・オリーブ,ナイル酒造アテネ支社
金融保険  デロス信用金庫,地中海ミュロン海上火災,アドリア証券

[歴史]

※なお、[古代ギリシャ][ローマ帝国][ビザンツ帝国]については史実ですが、一応全体としてフィクションであることをお断りしておきます。また、ローマ皇帝の代は、便宜上割り振った大まかなものです。

古代ギリシャ時代
 古代ギリシャにおいては、アテネ・スパルタ・テーベ・コリントなどの都市国家が成立し、その中で民主国家や軍事国家などさまざまな性格の都市が繁栄した。諸都市は互いに対立しつつも、自らを“ヘレネス”と呼び、異民族“バルバロイ”と区別するなど、ギリシャ民族意識を持っていた。前5世紀には大挙して侵攻してきたアケメネス朝ぺルシャの軍勢を一致団結して破るなど、その民族意識は強固であった。
 なお、この時代は叙事詩・演劇が発達し、ホメロス、ヘシオドスの詩人やアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスなどの悲劇詩人も活躍した。また歴史家のヘロドトス、トゥキディデスも現れた。彫刻や建築なども発達し、著名なものがアテネのパルテノン神殿のフェイディアス「アテナ女神像」やミュロンの「円盤投げ」、他に「ミロのヴィーナス」「ラオコーン」「サモトラケのニケ」などがある。

ローマ帝国(第一帝国)
 ローマは元々エトルリア人の王を頂く王政国家であったが、ラテン人が王を追放し貴族政を開始、さらに時代がくだるにつれ徐々にギリシャ的な民主主義を獲得していった。ローマは市民が守るのだという意識に燃えるローマ軍は次々にイタリア半島を征服し、遂にイタリア半島を抜け出て遠征をするようになる。しかし、属州を得るにつれ安価な穀物・労働力がローマに流入し、ローマ軍の主力である重装歩兵部隊を担う中流自作農階級が没落するという結果が生じた。そうして没落市民を使用した大規模農場経営“ラティフンディア”が流行するようになる。
 没落市民を救済しようとグラックス兄弟が立ち上がるも失敗、さらに“平民派”マリウスと“閥族派”スラの内戦が生じるなどローマ国内は非常に不安定化する。そんな中登場したのがクラッスス、カエサル、ポンペイウスの三人。これが第1回三頭政治である。この時、ガリアを手中にする。カエサルが暗殺されると、次に登場するのがアントニウス、レピドゥス・オクタヴィアヌスである。これが第2回三頭政治である。そして、アントニウスとオクタヴィアヌスの抗争の末、勝利したオクタヴィアヌスが元老院から“アウグストゥス(尊厳者)”の称号を送られ、自身も自ら“プリンケプス(第一の市民)”と呼ぶようになる。ここからが帝政ローマの始まりである。
 帝政ローマ前期は比較的穏やかな時代であった。特に、アウグストゥス初代皇帝から五賢帝末期までの200年間が“パックス・ロマーナ”と呼称されているのは有名な話である。五賢帝の二番目、初の属州出身(ヒスパニア)の皇帝としても知られる第13代トラヤヌス帝の時に帝国最大版図を築く。これは四帝国のうちでも一番大きなものである。また大浴場建設でも知られる第21代カラカラ帝の時にはアントニヌス勅令で帝国の全自由民にローマ市民権が与えられ、ローマは“世界帝国”へと変貌した。この変貌が帝国に与えた影響は大きい。五賢帝にも属州出身の皇帝が多かった上、第20代セプティミウス=セヴェルス帝はリビア出身の皇帝であった。こうなると“ラテン人の皇帝”である必要はなくなったということであり、給料未払い問題で不満を募らせていた地方駐留軍は、軍司令官を皇帝に祭り上げることで甘い汁が吸えるのではないかとの発想から、各地で反乱を起こすようになる。これがいわゆる軍人皇帝時代である。
 軍人皇帝時代に幕を引いたのは、自らも軍人皇帝である第40代ディオクレティアヌス帝である。彼は帝国支配を強化するために、東方風専制君主体制(ドミナートゥス)を開始、元老院などの共和政の伝統をまったく無視した専制政治が行われる。また彼は帝国の分権化の傾向に対応し、帝国を4分割して東西正帝と東西副帝の4人で統治をしようという四分統治を開始した。彼自身は東方正帝となった。第44代コンスタンティヌス(1世)帝の時、有名なミラノ勅令で大勢力を形成しつつあったキリスト教を公認し、小アジアのニケーアで公会議を開催し、キリスト教の教義を定めた。またコンスタンティノープルに遷都したのも彼の治世である。第50代テオドシウス(1世)帝
の時代になると、ゲルマン人の南進が激化の一途をたどり、辺境防衛にゲルマン人傭兵を主に使用していたローマ帝国国境は遂に維持が難しくなる。しかし、彼はキリスト教国教化、分裂しがちであった帝国の最後の統一を果たすところまでこぎつける。しかし矢張り統一の維持は難しく、死に際して帝国を2子に分割して分け与えることを決定した。これにてローマ帝国の東西分裂は決定的なものとなった。

ビザンツ帝国(第二帝国)
 ローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国はゲルマン人の、東ローマ帝国はイラン人の攻撃を受けることとなった。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、西ローマ帝国がゲルマン人に滅ぼされてからは唯一の正系のローマ帝国としてゲルマン人に対して宗主権を保有していた。西ローマ帝国滅亡後の第61代皇帝ユスティニアヌス帝の時代、ゲルマン人の侵入を抑えて国力を蓄えたビザンツ帝国は、西ローマ帝国の遺領の回復に努め一時はヒスパニアにまで領土を拡大し、帝国最大版図を形成した。なおこの時代にセント・ソフィア大聖堂が建てられ、またローマ法の編纂が行われた。しかし、帝国拡大の反動でユスティニアヌス帝の没後はササン朝ペルシャやアヴァール人、ゲルマン人の侵入が激化し、領土は削られた。
 この混乱の中、第66代皇帝ヘラクレイオス1世が即位した。彼はササン朝を撃破することには成功したが新に登場したイスラム勢力には侵入を許してしまう。イスラム勢力の攻撃は“ギリシャ火”によって撃退したが、次は北方からブルガリアの侵攻を受ける。この四方を敵に囲まれた中でヘラクレイオス1世は地方司令官を任命し、行政・軍事の両方の権限を与えて戦略行動の円滑化を期する軍管区制を開始する。またこの時代から帝国内の公用語がギリシャ語になる。
 イスラム勢力台頭以後はイスラム勢力からの攻撃を断続的に受け、イスラム帝国軍が首都コンスタンティノープルに迫ることもあった。しかし第78代皇帝レオン3世は、イスラムによるコンスタンティノープル包囲を破り、これ以降のイスラムの大規模な侵入を防いだ。またレオン3世はイスラムの偶像崇拝禁止に対抗する意味で聖像破壊運動を行い、聖像禁止令を発布するに至った。これにてローマ・カトリックとの溝が深まることとなった。7世紀には全体的に帝国のギリシャ化が進んだ。
 9世紀になると第90代皇帝バシレイオス1世が帝位に就く。このバシレイオス1世に始まるマケドニア王朝の時にビザンツ帝国は最盛期を迎える。小アジアへのパウロ派遠征やイタリアへの対イスラム遠征、キプロス奪還を成功させる。また宗教的にはブルガリアをコンスタンティノープル総主教の下に押さえた。第91代皇帝レオン6世や第93代皇帝コンスタンティヌス7世など文化的に優れた皇帝や、対外的には第96代皇帝ニケフォロス2世が300年ぶりとなるアンティオキア奪還を果たし、第97代ヨハネス1世もブルガリア・キエフ公国の軍勢を撃破するなどし、シリア・パレスチナも奪還した。第98代バシレイオス2世の時代には帝国は最盛期を向かえ、ブルガリア帝国を滅ぼし帝国の最大版図を復活させた。地中海の要衝を押さえて商業も繁栄し、コンスタンティノープルは地中海世界最堅固の“三重防壁”を構える人口30万人の国際大商業都市に発展した。しかしバシレイオス2世没後は後継者が定まらず混乱し、セルジューク=トルコの侵入やローマ・カトリックとの絶縁し、さらに第106代皇帝ミカエル6世退位後はマケドニア朝が断絶して、外敵の侵入や内乱など危機的状況が続いた。

グリーク=トルメキア王国(大ギリシア帝国・第三帝国)
 最後のビザンツ皇帝の血を引くバルカン半島の名門ドラガセス家は、ヴ王の時代に勢力を拡大し、バルカン半島を根拠地とした王国、トルメキア王国を建国した。当初は双頭の鷲の紋章ではなく絡み合う蛇の紋章を使用する土王国のひとつに過ぎなかった。王国は小アジアを根拠とする土鬼(ドルク)諸侯国連合との和平を確立し、バルカン半島と小アジアを領有する「土鬼トルメキア二重帝国」を結成した。王国は土鬼諸侯国との連合のもと発展を遂げたが、奇しくも世界に未曾有の天変地異が発生したため、土鬼政府は崩壊、トルメキア王国は王政を再開させるも二重帝国としての復活はなかった。
 王国はその後土鬼遺領の小アジアを併せ、さらにコンスタンティノープル総主教の協力の下に国土をメソポタミア・エジプト・キレナイカまでのばした。トルメキアはギリシャ文化の国家であった為、国土はギリシャ文化で統合され、国名もグリーク=トルメキア王国と改名した。また、この頃神聖ゲルマニア連合帝國・マルタ騎士団イタリア帝國との同盟関係に入り、バルト・アメストリス・紅国の三国協調同盟との対立を深めた。
 カルタゴ・モロッコ・バルカン連合等のギリシャ系国家の建設が相次いだ為、王国はコンスタンティノープル総主教を中心とした連合態勢へ移行した。各地に分散していた元老院議員を輩出していた家系をコンスタンティノープルにかき集めて元老院の後継たる“参議”を召集、当時のコンスタンティノープル総主教をローマの皇帝と同義なるギリシア皇帝に祀り上げることを議決し、ギリシャ文化を主体とした国家の連合としての「大ギリシア帝国」が発足した。皇帝はコンスタンティヌス13世、当時の総主教であった。このときの帝国領はバルカン半島・西イラン・メソポタミア・エジプトからモロッコまでの北アフリカ全域となり、ユスティニアヌス帝時代を彷彿とさせる広大な領域となった。これよりグリーク=トルメキア王国は最盛期を迎える。
 しかし王国の拡大に内部が追いつかず、広大な国土に内政がおろそかになりがちになり、さらに内政に手間取り外交活動に差し障りが生じてしまう。王国は半外交停止状態がずっと続いていた。その時、王国はイスラム帝国スイスミレニアムエンパイアを中心とした国家に突如宣戦される。理由の不明な宣戦に、ガタのきていた王国内部は一層困惑する。穏健派が単独講和に持ち込もうと画策し講和会議に参加、ゲルマニアとの同盟関係の解消を持って講和をなすとの条件を承諾した。しかし、次いでスイスの持ち出した講和条件が講和条件としては過度に厳しいもので、敗戦国に対する要求とほぼ同じ内容であった。そのため王国代表はその条件を撥ね付け交戦準備を王国中央政府に打診する。しかし、その時、単独講和に不満を持つ地方軍が一気に蜂起を開始、エジプト・シリアを中心とした地方軍が独立を宣言。ギリシア皇帝コンスタンティヌス13世はこの事実をもって、カルタゴ・バルカン連合を含めた大ギリシア帝国として敵陣営との講和を宣言し、同時に皇帝位から退位した。

ギリシャ=トラキア二重帝国(第四帝国)

 トルメキア王家であるドラガセス家は、ヴ王の長男であるクレオンを摂政とした王不在の王国であるトラキア王国をバルカン半島に再興させた。バルカンでの他の勢力を駆逐したトラキア王国の情報はコンスタンティノープルにも入り、コンスタンティノープル総主教のコンスタンティヌス13世はトラキア王国を大ギリシア帝国の後継、つまりローマ帝国の後継国として正式に認めた。
 総主教庁とトラキア王国の連携強化を図るため、コンスタンティノープル総主教であるコンスタンティヌス13世を皇帝に復位させたうえで王不在であったトラキア王国の王も兼任させるという二重帝国体制がスタートした。二重帝国はギリシャ帝国・トラキア王国の不可分の二要素から構成され、それぞれに政府を持つ。クレオンはそのままトラキア王国摂政の位置についた。二重帝国は隣国スクワイア協同連合から小アジア西岸地域を割譲され、帝都を正式にコンスタンティノープルに定めた。旧希領である東方を主眼に置いた東方外交を推進し、スクワイアとの文化交流条約やアラビア・カルタゴとの協商条約の締結など成果を挙げた。またゲルマニアとも再度同盟関係に入り、復興の基盤を作った。対ヘルマジスタン戦争では、エチオピア正教会をコンスタンティノープルの傘下におさめるなど文化的な進歩も見られた。
 領土の回復も進み、復興期の隣国スクワイアからの全小アジア返還、アルメニア委任統治化の後は徐々に旧希領の回復が進んだ。コンスタンティヌス13世が死去してドラガセス家からアレクシオス7世が皇帝となってからは回復の速度は収まった。叡印・緑文戦争の際叡緑側につき、印陣営のアフガン公国遺領をアラビア・ドンオークとともに分割、旧希領メディアを回復した程度に留まる。このメディア州もササン朝ペルシャの復興で孤立化の不安が生じ、メディアへの陸路確保に躍起となる二重帝国と旧領復帰を願うササン朝ペルシャで対立が起こるが、ササン朝が神聖ゲルマニア連合帝国の陣営に入ってからは急速に事態が収束し、二重帝国は西ペルシャ一部割譲するのみであっけなく解決し、メディアの孤立化は避けられた。また、最近はガリア・ヒスパニア共和国の崩壊で中南イタリアと北東イタリア、シチリア島を併合した。アレクシオス7世は1400年ぶりにローマを奪還した皇帝として後世に名を残すであろう。


[軍事]