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 去年から食品偽装の問題、今年に入って毒ギョーザ事件といったニュースがマスコミを賑わせてきた。問題が起きるたびに、食品の安全が叫ばれ、責任問題が問われ、経営者のモラルの問題が問われてきた。しかし、これだけ問題が起こっているにも関わらず、単なる個別な経営者や管理者の問題に帰着して、問題を単純化していいのだろうか。

 もちろん、経営者や管理者の個人にまったく責任がないわけではない。その責任は、偽装するかどうか、安全をきちんと管理するかどうかという意思の自由に対して発生する(いつもこれは確認せねばならない、責任というのは意思の自由に対して発生する。人間の意志はどこまで自由なのかということについてはまた別のところで考えることにして、今はとりあえず通念にしたがって、生命の危機などの脅迫によって自由が奪われてない限り、自由意志があると認めることにする)。そういう意味で、そういった人たちの過剰なコストパフォーマンス、利潤追求がこの事件を直接的に誘発しているといわざる得ない。

 だが、もう一方で、消費者側、国民側として、食品に対して適切な対価を支払っているのかという疑問もまた沸きあがる。今回の毒ギョーザ事件のニュースで、あるインタビューを受けた市民が、「安くていい物を」と発言したことがこのへんの問題を象徴的にあらわしているように思える。つまり、消費者も生産者も自身の利益を追求し、その利益関係が対立しているにも関わらず、その対立をあるところで決着をつけて、取引(交換)を成立させるのは、いわゆる市場の役割だが、一連の事件によって見えてきたのは、市場原理によって両者の調和的な関係が生まれるわけじゃないということだ。一連の事件によって、たしか一部な不法な経営者を市場から追い出すことに成功して、浄化作用を働かせることに成功したといえる。しかし、両者がそれぞれ自身の利益追求に適切に歯止めがかからない限り、必ず同じような事件がまた起こる。