◆痴音ミク 栄光と挫折の黒歴史◆


1986年頃
   この世に生を授かる。
   物心ついた頃にはすでにアニメと音楽にハマっており
   順調に人生の下り坂を進み始める。

1991年頃
   ピアノを習い始める。
   以後7年間続けたが、才能が開花したかどうかは
   今の俺を見れば一目瞭然である。

1995年頃
   妹と一緒にセーラームーンを毎週欠かさず見る
   清く正しき少年に成長。

1998年頃
   ポケモン廃人となる。

2002年頃
   高校生になれば彼女が出来る、と思っていたが
   もちろん出来ずに終わる。
   替え歌の魅力に目覚めたのが大体この頃だったりする。

2003年頃
   どうぶつの森にハマる。

2006年前半
   デザイン系学校に在学中、悪魔のツールこと
   2chに出会い、瞬く間にVIPPERと成り果ててしまう。人生の暗黒期。
   この頃、かの名作「VIP STAR」がネット上で大流行。

2006年後半
   とあるきっかけからVIP内で替え歌を作詞し、発表するようになる。
   初めて作った音源はBUMP OF CHICKENの「ラフメイカー」の
   替え歌だったりするのはここだけの話。

2007年前半
   ニコニコ動画のアカウントを取得、初めて自分の作品を投稿する。
   ちなみにこの頃の替え歌の内容およびクオリティは
   今となってはとても聴かせられたものじゃない。
   当時は無名で、替え歌以外にもいろいろやってました。

2007年中頃
   長門有希を自らの嫁とすることを誓う。

2007年後半
   例のボーカロイド「初●ミク」がニコニコで一大ブームを巻き起こす。
   安易に便乗して、自らのHNを「痴音ミク」に改める。
   そして改名のタイミングを逃し続け、今に至る。

2007年12月
   「痴音ミク」名義でリリースした初の替え歌作品
   「neeeet」が、初投稿以来初めて10000再生を突破。
   痴音ミクとしては、これがデビュー作品となる。

2008年前半
   「neeeet」のヒットにより、自分には替え歌の才能があると勘違いし
   毎月2作くらいのペースで新作替え歌を投稿。
   周りからウザがられ、評判を落としていく。

2008年4月
   「醜痴心」という名義で、替え歌「求人誌」を発表。
   しかしその直後、酷くなっていく荒らしに心を病み
   それまでに発表した動画をすべて削除。

それから数日後
   勝手にした引退宣言をまた勝手に撤回。特に誰からも反応はなかった。

2008年6月
   復帰後初の新作替え歌「orz~オーズー~」を発表。
   この後約2年にわたり、痴音ミク作品のトップ再生数作品となるヒット作となる。
   エアーマンでおなじみ、Team.ねこかんのnyanyannyaさんにも
   カバーされるなど、当時はそこそこ話題に。ホントだぞ

2009年始め
   「求人誌」「モテないぜ」「糞虫ニート」の3作品をもって
   「醜痴心」プロジェクトの終了を宣言する。

2009年4月
   この頃「orz ~オーズー~」の再生数が自身初の10万台に到達。

2009年6月
   当サイト「痴音歌」を開設。

2009年7月
   替え歌「Busaiku」「Crazy face~キミ・ハ・ムショク~」を同時発表。
   後に「Busaiku」はいろいろあって大躍進、痴音ミクを代表する一曲に。

2009年12月
   今までの作品を集めたベストアルバム(的なもの)
   「痴音ミクの記録」「痴音ミクの記憶」を同時発表。

2010年8月
   替え歌「ゴミムシ」を発表。
   ニコニコ動画において、初のデイリーランキング総合1位を獲得し
   自身初の100万再生を達成する記録的ヒット。

2010年9月
   替え歌「Love Keionbu」を発表…するが、
   荒らしが深刻化し3日で削除。事実上幻の作品となってしまう。

2010年11月
   Twitterのアカウントを取得する。
   しかし実際書き込むようになったのはそれから数カ月経ってから。

2011年2月
   替え歌「Busaiku」がとうとう権利者削除を喰らう。
   最終的に再生数は50万を越え、痴音ミク歴代二位のヒット作となる。
   たくさんの人に愛していただけた作品でした…。

2011年5月
   替え歌「痴音ミクのバババカ★バカムスコ-B」を発表。
   この作品で「ヒャダインのカカカタ☆やってみたコンテスト」
   最終選考枠に残り、まさかのニコ生出演。いろんな人から呆れられる。

2011年8月
   人生の大部分を過ごした住居を離れ、現在の住居に移り住む。

2011年10月
   替え歌「軽音桜」を発表。
   評判はそこそこだったが、「浮気ではないか」というコメントも殺到する。

2011年12月
   「千本桜45人リレーを1人で45人分走ってみた」を発表。
   替え歌以外の作品としては一番のヒット作となるが、
   作品の評判はわりとひどかった。

2011年12月
   歌い手のZAQさんに動画を提供する。
   翌年、ZAQさんはプロの歌手としてまさかのメジャーデビューを果たしましたとさ。
   彼女にとっては黒歴史でも、俺にとっては数少ない白歴史です。

2012年2月
   替え歌「非リア充」を発表。案外伸びてる。

2012年5月
   組曲替え歌「超替歌『ダメダメ人間』」を発表。
   製作放棄していた流星群替え歌の一部もちゃっかり流用。

2012年8月
   替え歌「無職でよろしくって…よ」「ニート堕落百景」を同時発表。
   なぜか「ニート堕落百景」の方のみヒットする。よく分からん。

2012年11月
   とびだせどうぶつの森にハマる。

2012年12月
   超組曲ネタをリメイクして発表。
   真面目に歌ったつもりだが、ほとんど替え歌じゃねぇかというご指摘を受ける。

2013年1月
   替え歌「おれらだけ体操」を発表。
   初の「全編ほぼ手描き動画」で、
   一日で10000再生を超える久々のヒット。


※替え歌作品についての詳細は こちらを参照

   
   

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最終更新:2013年01月07日 22:10