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現在わたしは京都府立鳥羽高校定時制の国語科教諭である。学校名を名乗っているのはそれが本校においておおいに関連のあるニュースだからである。10名以上の中国系帰国子女を受け容れている本校において、生徒達に動揺はない。しかし、その親たちの動揺は非常に深刻である。日本人社会について行けない「言葉の壁」、さらにはそこから来る直接、間接を問わない「差別」は大いに彼らの生活に影響を及ぼしている。 「不安」は彼の地方の問題ではないのだ。
わたしは人権問題に関し、教師生活の大半を費やしてきた。「差別とは何なのか、わかりやすい説明を」と、求められることがしばしばある。そんな時、「本人が努力しても変えられないことを攻撃されることだと考えなさい」と答える。旧満州に取り残された日本人の子孫。これは本人の努力では変えることのできない事象である。また貧農に生まれた中国人。海岸部と内陸部では全く生活レベルが違う。そんな時、貧困から抜け出すため「日本人妻」になりたいと希望を抱いて海を渡ってきた人達もいる。 日本人の子孫だろうと、中国人だろうと、人間に変わりはない。大切なのは今、生じた事件をいかに捉えるかである。日本で頑張っている中国人や中国からの引き揚げ者全体の問題ではなく、そこに現れるに至った現象の分析が最も大切である。わたしは我が校で学ぶ帰国生徒育成に自信を持っている。日本人社会に同化できず不安のカウンセラーもいない状況がもとで生じた保育園児殺人事件。一方、犯罪目的で来日し、非道な事件を引き起こした千葉県犯罪とは質的にも違う。 関東大震災の後、在日の人達の虐殺がかつておこった。「井戸に毒を朝鮮人達にまかれた」というデマが広がったからである。不安と不審がマスコミを通して煽られる中、いまは、保育園児殺人事件の背景にあるものを分析したいと考えている。 そして、我が校に通う保護者の不安を除くために残りの教師人生を捧げたいと考えている次第である。
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