唐沢氏の「経歴・年譜」に関しまして、すでにご存知の内容かも知れませんが、時期(年代)的な
記述に気になる個所がございましたので、今回、下記ご連絡いたします次第です。
<記>
1・>1976年12月:ヤマトのプロデューサー西崎義展がオールナイトニッポンのパーソナリティを
>務めており、
確か、西崎氏が『オールナイト・ニッポン』のパーソナリティを担当されたのは、1976年ではなく
1980年か81年だったと思います。
2・>この段階ですでに、すでに宇宙戦艦ヤマトが大ブームになっており、
1976年12月時点では、まだまだマニアやファン達による「知るひと(達)ぞ知る」的レベルのブーム
でした。翌77年夏に劇場版が公開されて以後、マニアやファン以外の(『ヤマト』を含めアニメに興味
なかったり、馬鹿にしていた)人たちにもその名前~存在が知られるようになり、まさに社会現象として
大ブームとなりました。
3・>アニメとしては異例のアルバム『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』が発売され、翌年TV版の再編集映画
>が公開されることが決定していた。
『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』(のLP)は、劇場版が公開された1977年の12月、クリスマス商戦用にリリ
ースされたものです。ちなみに、同年同時期に『オールナイト・ニッポン』でオンエアされた4時間生放
送ラジオドラマ版『宇宙戦艦ヤマト』で使用されたBGMは『交響組曲~』の収録作品です。
尚、その前年の76年の年末時点で、劇場版の公開が決定していたか、どうか・・・については判りませ
ん(編集作業は行っていたのでしょうけれども)。
つまるところ、1976年12月時点における『宇宙戦艦ヤマト』とは、たいへんマイナーな存在だったと
いうことです。