唐沢俊一の謝罪文に対する大森望の意見

大森望のミクシイ日記より

交渉決裂を受けて、双方が交渉経過を説明。唐沢サイトには、本日、謝罪文も掲載。
http://www.tobunken.com/news/news20070803110042.html

「一部(ページ記載)」となってるのは、ノンブルをこれから入れる予定ってこと?
 どこまで認めるのかまだ確定してないのかね。

当事者間の交渉は当事者間の問題なんでどうでもいいんですが、
ますます不思議なのは唐沢俊一氏の事情説明。

以下、http://www.tobunken.com/news/news20070801103444.html
から一部をコピペ。

今回の原稿の当該部分の掲載については、
山川惣治・著『サンナイン』のあらすじ紹介を記載する文章の参考として手元にコピーし、
メモしておいた漫棚通信氏のサイトの文章を、
原稿執筆時、当方のケアレスで、ほぼそのままの形のものをペーストしてしまい、
あらすじ引用という当該部分の性質上、
原稿チェック時にその文章の同一性につい意識が回らぬまま、
結果的に引用の条件を満たさぬ形で掲載する形になってしまったものです。
とはいえ、最終的にこれを商業的な単行本として出版したことは
完全に唐沢に責任があることであり、
執筆者としての最終判断をないがしろにしてしまった過失は極めて重大と認識し、
反省しております。


 他人の原稿について、「文章がヘタ」と指弾することで有名な人としては非常な悪文。
 目的語が二つあったり、やたらくりかえしが多かったりして意味が分かりにくい。
 「とはいえ」っていうのも、なにが「とはいえ」なんでしょうか。

 さらに、終始一貫、「『サンナイン』のあらすじ紹介」部分の盗用(借用)しか認めてない。
 平野威馬雄『空飛ぶ円盤のすべて』からの引用箇所がすべて漫棚通信と一致してるのは偶然ということか。

 それにしても、「あらすじ引用という当該部分の性質上、
 原稿チェック時にその文章の同一性につい意識が回らぬまま、結果的に」って部分は
 ばっさり削除したほうがまだしも印象がいいだろうに。
 あらすじ紹介はだれが書いても大差ないので……と言いたげな書きっぷりは、
 あらすじをどう書くかに日々アタマを悩ましている人間としてはけっこうむっとするね。

 「最終的にこれを商業的な単行本として出版したことは完全に唐沢に責任があることであり、
 執筆者としての最終判断をないがしろにしてしまった過失」というのもわざわざ書く意味が分からん。
 執筆者じゃなくて「監修者」なら意味が通じますが。
最終更新:2007年12月26日 21:23
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。