薔薇乙女寿史料館

真・ひいらぎレールジャーナル山陽九州編3章

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healagi

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前回のあらすじ
新見から芸備線を乗り継ぎ、ローカル線の旅を満喫しながらゆっくりと広島にたどり着いたひいらぎ。既に日は暮れたが、今までの遠回りはまさにこの時間帯に合わせるためだった。そう、これから乗る列車こそ今回の乗り鉄を敢行する最大の動機なのだ。


いざ、再び新幹線のホームへ


在来線のホームでしばらくトレインウォッチングした後、18時を過ぎたところで新幹線ホームへ移動。

途中にこのようにマツダ・デミオが飾ってありますが、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 (広島市民球場)と何か関係があるのでしょうか?

待合席にはこんなのも・・・

列車の発車時刻は18時50分、まだまだ余裕があるので駅弁屋でまた駅弁を買って待合室で食べます。


買ったのはこれ。

冬季限定商品「しゃもじかきめし」!


中身はこんな感じ、牡蠣ぎっしり確かな満足!ですねっ。

これは大河ドラマ「平清盛」放映記念で出たそうです。


待ってる間に入ってきた列車その1、ひかりレールスターとみせかけてこれこだまです。

九州新幹線開業、そしてさくらのデビューによって、ひかりのダイヤスジをさくらに明け渡す格好となり、レールスターの車両は余剰気味。それでこだまでの運用が多くなってきました。
いずれ、「レールスター」の名は消えるようです。


そしてそれがそのさくらです。
車両はのぞみでもおなじみのN700系ですけど、実際見ると色合いが違うので区別はすぐ付きそうです。

そしてターゲット来る



11番のりばの電光掲示にずっと表示され続けるターゲット列車の表示。

この間に発着する列車はみんな12番のりばなので割と長いこと表示されてます。

しかし、発車時刻より10分少々前・・・・ついに11番のりばに動きが。


入って来たのは顔がとんがった短い6両編成・・・。

これこそが自分が乗りたい列車。
広島18時50分発のこだま827号 博多行き

その運用に就くのがこれ・・・


100系新幹線電車
なのです。

今年、2012年3月に100系の引退が決定しました。

0系に続き、新幹線の第二世代もいよいよその終焉を迎えようとしています。

ちなみに、第三世代であり、元祖「のぞみ」車両として活躍した300系も同時に引退です。
この同時引退はさすがに予想だにしていませんでした。


それはともかく乗ってみます。

行き先表示はかなり前からLEDに交換済み

100系に乗るのは実に12年ぶりというひいらぎ。

前に乗ったのは中学校の修学旅行で東京へ行った時でしたね。

あの時は2階建て車両を備えた16両編成のひかりでした。


その時と今では随分違います。
車内を見てみれば

新幹線の普通車と言えば3列+2列がデフォルトですがこれは2列+2列。これはJR西日本が施した大リフォームによる賜物ですね。


この車内LED案内も昔はあったかどうか・・・

実は先頭車も中間車に頭をくっつける改造を施した改造車だったりします。

こだまは西へ走り出す


このように自分が乗った時とはガラリと様子が違う100系のこだま号、いよいよ発車時間になりました。


側面展望はほぼ期待できませんが・・・

走り始めるとしばらくして、「いい日旅立ち」の車内メロディが流れ放送が始まります。
JR西日本車ではこれが定番の流れですね。

100系の最高速度は220km/h
700系や500系の最高285km/hに比べて65km/h遅く、N700系と比べたら80km/hも遅い100系はなんとか次の駅に逃げ込んで、あるときはひかり、あるときはのぞみ、みずほと後続の速い列車をやりすごしています。
かつてはみなが驚いたスピードも今やダイヤ組成にあたって足かせになってしまっているのが時代の流れを感じさせます。



そんな100系がデビューしたのは1985年のこと。
東海道新幹線が開業して20年以上、山陽新幹線が全線開業してからも10年が経っており、さすがに0系ばかりという現状に飽きてきたころでした。

新幹線電車はその速さゆえに劣化が在来線車両より早く、そのため新製された車両は13年で廃車するという取り決めが行われた結果、古い0系は新しく造られた0系で置き換えられるという現象が起きていました。

そこには0系の完成度が高かったという理由は少なからずあります。初の新幹線電車とはいえ、その製造に至る技術はそれまでに在来線で製造されてきた電車で培ってきた物を踏襲・煮詰めたもの。
0系って本当はとても無難に出来た車両だったのです。


しかしそれ以上に70年代の国鉄はやる気がなかった。


なんとか山陽新幹線を全通させたものの、その莫大な建設費は運賃値上げと言う形で利用者に跳ね返ってきました。
70年代に行われた相次ぐ運賃値上げは、上げる前と後では倍ほどに違ったそうです。

そんなgdgdな状況下で新型車両を開発する気なんてさらさらなかったわけですね。


そして満を持して登場した第二世代、100系。登場した頃は既に国鉄は爆発寸前。

最初は2両つないでいた2階建て車両のうち、1両は食堂車でしたが、後から造られた車両には食堂車ではなくグリーン車とカフェテリアが用意されるなど、当初に比べると内容が簡素化されています。

JRになると、新造間もない100系はなんと全てJR東海が押収。


JR西日本には既にガタがきてた0系ばかりが押しつけられます。
これではサービス格差が激しくなるとみたJR西日本は独自に100系を製造。従来の100系と違うのは2階建て車両が4両も連結されていることと、最高速度を10km/h引き上げた230km/hでの運転が可能になったこと。

この100系を使用したひかりはグランドひかりと呼ばれ、のぞみが主流になるまで看板列車的存在として活躍してました。

しかし21世紀に入ると、新幹線は大きな改革がもたらされます。
それは、今までひかり中心だったダイヤがのぞみ中心のダイヤに変わったこと。

それまでにものぞみの増発と反比例するかのように減っていったグランドひかりですが、2002年についに引退したのでした。

運用を終了したグランドひかりは順次、編成が短くされ6両と新幹線最短となる4両編成に組み替えられ今日に至ります。

すでに4両編成は運用から離脱し残ったのは6両編成のみ、しかも早朝の岡山~広島と今回乗った広島~博多、そして小倉~博多と、絶滅寸前の段階に入ってきました。


路線が街を発展させた例、博多南線



こだま827号は予定通り博多の15番のりばに到着しました。

折り返しはないので、この列車は車庫へ向かい・・・。


いや、その前にもう一仕事残ってます。

それがこれ、博多南線の運用なのです。

乗ってきたこだま号が博多終着と同時に博多南行きに変わるので、そのまま乗りとおすことができます。

ちなみに博多から博多南までの片道運賃は乗車券190円、特定特急券100円計290円です。


この博多南線、新幹線ホームから発車し、新幹線電車を使って運転されますが、路線上は在来線として区別されてます。
これは「全国新幹線鉄道整備法」という法律に基づいて作った路線じゃないからだそうです。あくまで書類上は新幹線じゃないってことですね。

列車はこだまでもひかりでもなく、ただ単に「博多南」を表示。時刻表では単に特急とされてます。
線内では最高速度が120km/hに抑えられており、今までに比べるとやけに遅く感じます。博多と博多南の間に途中駅はなく、ノンストップで10分ほどで両駅を結んでます。


元々は山陽新幹線開業時に博多から9.2km先の車両基地への回送線として敷かれたこの線路。
基地周辺は次第に市街地化してゆき、人々の往来が激しくなってきた。

しかしこの地域(那珂川町、後に春日市)から福岡市内へ出るには西鉄バスで1時間かけて移動するほかなく、住民はもっと利便性の良い交通手段を求めていたが、その先にたどり着いたのがこの回送線だった。

住民は国鉄にこの回送線に旅客列車を走らせて欲しいと要望を出し、様々な協議が行われた結果、JR化後の1990年に博多南駅と博多南線が開業した。

これで福岡中心部まで所要時間1時間だったのが10分で結べるという大幅短縮を実現し、その利便性の良さからさらに沿線人口が増えていったのだった。


博多からちょうど10分、博多南駅に到着です。

新幹線電車が停まるにしてはやけに狭いホーム。てか8両分1面しかありません。

100系からは家に帰ろうとする沿線住民がたくさん降りてきて狭いホームを歩きだし、これまた狭い改札をくぐり抜けてホームには自分たちファンだけが残りました。


そして100系は車庫へ向けて発車、発車時には御覧の通り警笛のサービスを頂きました。

狭いホームゆえかゆっくりと走りだす100系には迫力があり、誇らしげな印象を受けたのでした。

おまけ、そして博多へ戻る前に

博多南駅の正面口。2010年からJR西日本が管轄してますがそれまではJR九州の管轄だったそうです。

手書き感たっぷりの次列車案内。列車が到着するまで改札は通して貰えない仕組みです。

微妙に端が切れてる案内

元々100系で運転されてた列車がこれらに変わるという案内。

博多までの帰りに来たのはこれ、レールスター用の700系。そしてやっぱりギリギリすぎて中途半端になるorz

第三章終わり


  • しゃもじかきめし美味そう( ^ω^) -- ザンキ (2012-02-08 03:43:06)
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